オーディオ風土記

オーディオ風土記

田中伊佐資さん著作の「オーディオ風土記」という本を買った。2014年11月に初版発行だから今さらであるが、アマゾンでネットショッピングしていたらあなたへのお薦めとして現れた。最近のコンピューターは利口だからなんでもお見通しである。それに「またそんなくだらないものばかり見て」なんてことも言わずさらりと薦めてくれる。とにかくお薦めを素直に聞き入れた。

内容は、もともと「ステレオ」誌連載の記事をまとめ直したもののようだ。全国のオーディオ自慢の方々のシステムを写真で紹介しつつ、その人の人生やオーディオとの付き合いが記事になっている。音楽やオーディオ関連の仕事を生業にする人もいるが、ほとんどの方は全く関係ない仕事をしながら日夜オーディオと格闘しているようである。

田中伊佐資さんはあちこちで執筆しているが、雑誌で新製品を評価している他のオーディオ評論家に比べると一般ユーザー側に近く、本人が本当にオーディオと音楽大好きという感じを受ける。この本に取り上げられているシステムの中には写真を見る限りいわゆるセオリー無視で果たして良い音するのだろうか?と疑問を抱くものもあるが、そんなことより己を信じて好きなことにまっしぐらの人を応援する気持ちが伝わってくる。そもそもこの本は良い音を出したければこうしなさいという教本ではないのだ。

僕は機械物に熱中しやすく、若い頃は車、30代はカメラ、最近ではレコード鑑賞を再開して以来オーディオにすっかり夢中である。しばらく前にふと2013年末以来一体オーディオにいくら使っただろうかと主だったものだけを思い出して計算してみたのだが、途中で青くなって計算するのをやめた。貯金が一向に増えないはずである。こんな無駄遣いしていたらばちが当たる。そう反省しつつ、そういう人は世の中にたくさんいるだろうとも思っていたのだが、実際、僕の知り合いに突き抜けた感じでオーディオに嵌っている人がいるかと言うといないのが現実である。

そこでこの本を読んでみたのだが、いやはやこれは僕にとって最高の精神安定剤であった。ここに出てくる人たちに比べたら僕のシステムなんて子供みたいなものである。このところ、レコードプレーヤーこんなに集めてどうするの?と自問自答していたが、カセットデッキ400台持っている人に比べたら大したことない。部屋中スピーカーの人とかも複数いるし。

ところでこの本、僕が買ったのは第3版である。そこそこ売れているということだろう。どんな人がこの本を買っているか興味があるが、少なからずひそかに罪悪感を持った浪費家がいるに違いない。そういう人は僕と同じようにこの本で救済されることだろう。結果として旺盛な消費行動が継続すれば日本経済のためにもなる。何も間違ったことはしていないのだ。

こんな風に自分を正当化したい人には間違いなくお薦めの本である。
スポンサーサイト

バーンスタイン

無題

昨日、母親の車をちょっと借りたところ、驚いたことにいまだにスタッドレスタイヤを履いていた。考えてみれば母親が自分でタイヤを入れ替えるわけもなく、父親がサボっていたらしい。休暇で時間もあるので洗車がてらガソリンスタンドに行ったのだが、結構混んでいて作業に一時間かかると言う。歩いて家に帰るにはちと遠い。ということでスタンドの向かいにあるモールで時間を潰すことにした。

本を買ってコーヒーでも飲もうと思い、本屋で手にしたのがこの本。このシリーズは「ビル・エヴァンス」と「カルロス・クライバー」を持っているが、個人的には「バーンスタイン」が一番面白かった。岩城宏之さんや大植英次さんの思い入れたっぷりの話も良いし、片山杜秀氏による深読み解説や書簡によるエピソードも面白い。

膨大な録音を考えるとディスコグラフィーは中途半端だし、宇野氏による名盤紹介はマーラー、ショスタコ、モーツァルトのみという思い切りの良いものなので参考にならない。(ちなみに宇野氏のコーナーは確信犯に違いない。タイトルも「宇野功芳氏が自信満々にお薦めするバーンスタインの名盤」と半分ギャグだ。)

ところで岩城宏之さんがバーンスタインのお薦めとしてマーラーと並んでハイドンを挙げていた。これは大賛成。バーンスタインのハイドンは素晴らしいと思う。とにかくこの本のおかげで一時間はあっという間に過ぎた。

最後の将軍

なかなかまとまった時間が取れなかったのでずいぶん長い間をかけて読むことになってしまったが、今、さっき、徳川慶喜を描いた「最後の将軍」を読み終えた。

この小説が書かれたのは昭和40年代の前半、ちょうど僕が生まれた頃だ。あとがきによると単行本化されたのが昭和42年とある。1967年だが、大政奉還が1867年、王政復古が1868年だからちょうど100年後に当たる。と書きながら思ったが、あの頃って江戸時代が終わってからまだたった100年しか経っていなかったのか。

いまさらながら、この間の100年の日本の変化はすさまじいものがある。「最後の将軍」に描かれた徳川慶喜は当時の権力者の中でもっとも時代の変化を理解し、モダンな考え方の持ち主だが、当時の文化や社会、思想はやはり今とはかけ離れた想像も難しいようなものだし、彼自身の考え方や振る舞いも今の価値観では理解できない点が多い。明治維新後の100年間、日本は短距離走を走り続けてきたかのようだ。

300年以上、15代にわたって続いた徳川幕府の最後の将軍。最初で最後となった水戸藩からの将軍となり、わずか二年間弱の間に大政奉還を決意することはどれほど大きな決断であったか。もちろん想像もつかない。司馬遼太郎の小説では大政奉還の考えは慶喜の意にかなうもので、苦渋の決断というよりも渡りに舟の話として描かれているが、それでもなお本当にそうするまでの慶喜の心中はどんなだったのだろう。

王政復古により将軍職を辞した段階でまだ数えで33歳だったらしい…。そう考えると自分の人生に関する些細な事柄すらなかなか決断できない僕ってどうしようもないなあ。



関が原

司馬遼太郎の「関が原」を読んだ。受験科目に歴史がなかった僕は高校を卒業するために申し訳程度に日本史を学んだだけなので本当に歴史に弱い。関が原と言えば東海道本線と北陸本線の分岐点であること、そのため町であるにもかかわらず新幹線が止まること、そしてはるか昔から陸の要衝なのに今現在も(車窓から見る限り)驚くほどのどかな町並みであることを知るのみだ。

もちろん関が原の戦いという言葉は知っている。徳川と豊臣との戦いだったということも知っていたが、その人間模様、そして徳川家康がどれだけ戦略家であったか、ということをこの本を通じてしみじみと理解した。

映画「のぼうの城」で有名な忍城を攻めきれなかった武将、石田三成。この「関が原」の中でも頭脳明晰なことが災いして人間の弱さ、ずるさを理解できないことが致命的な弱点として描かれている。が、その一方、自らを引き立てた豊臣秀吉に対する忠義、近江の民から慕われた名領主としての一面、大谷吉継や島左近らの三成に対する忠誠等、三成がひとかどの人間ではなかったこともまざまざと描かれていて本当に読み応えがあった。

たった19万石の小大名だった三成が数百万石の大大名徳川家康をもし打ち破っていたら日本のその後はどうなっていただろうか。考えても仕方ないことだが、ふとそう思った。

そう、この本を読みながらずっと僕は石田三成のことが好きなのだ。頑迷で感じの悪い男だが、自分の信じた正義に忠実だ。だからこそ少数ながら三成の博打に同意し、敗戦濃厚となっても討ち死にを恐れない盟友がいたのだろう。それに比べると家康のずる賢さや戦況を見て利を選ぶ諸武将はどうしても好きになれない。彼らのような利口者が世の中いつも勝ち組なのかもしれないが。

日本の歴史に燦然と輝くこうした大武将に自分を重ね合わせるのはあまりにおこがましいことかもしれないが、死に臨んで自分の人生を振り返ったとき、素直に自分を認められる生き方を選びたい。

「関が原」の終盤、大谷刑部吉継の死に様と、黒田如水と初芽の会話のくだりがとても良い。

読書

僕はあんまり活字を読まない。本が嫌いというわけではないが、小さい頃から読み物にはあんまり興味がなかった。写真集だとか地図とか百科事典みたいなものは大好きなのに。

だから作家の名前も良く知らないし、いわゆる名作と呼ばれる書籍も読んだことのないものだらけだ。歳を考えると恥ずかしい限りである。

厳密に言うと一度だけ突然読書魔になったことがある。大学二年の十月から一ヵ月半くらいの期間だ。今から振り返ると少し鬱状態だったのかもしれない。もっともなぜ鬱状態になったのかは定かではない。行き先を見失ったような、エネルギーが足りなくなったような状態になって、当時借りていたアパートの部屋からほとんど出なかった。寝ている時間以外はまるでそれまでの借りを返すように本を読みまくった。

確かサガンが皮切りだったと思う。なぜサガンか?その経緯はまったく覚えていない。とにかくサガンから始まって、後は、罪と罰とか大地とか嵐が丘とか老人と海とか、聞いたことのあるようなタイトルの本を片っ端から読んでいった。

不思議なことにこのとき読んだ60冊近くの本の内容は、今、たった一行も覚えていない。本当に読んだのかという気すらする。現実には紛れもなく読んだし、これらの本はしばらくの間僕の部屋に誇らしげに積んであった。本を読むという行動は表層的なものでその時間精神はずっと違うことに向かっていたのかもしれない。

今、どうやらその時以来の波が僕を訪れているようだ。幸か不幸か仕事をしている今は本を読む時間は大学生時代に比べて大幅に限られているが、読書しながら音楽を聴くのが今の僕の楽しみだ。

大学生の頃から20年以上が経過し、同じ本を読んでも感じ方はずいぶん違う。何を言いたいのかわからなかった文章におぼろげながらも意味を感じたり、自分を重ね合わせたり。温かい気持ちになったり哀しくなったり。

汲めども尽きぬ泉のように、読みたい本は山ほどある。今度はじっくり読んでいきたいと思う。
プロフィール

ばけぺん

Author:ばけぺん

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
Since 3/28/2013
検索フォーム
リンク