ピアソラへのオマージュ

ギドン・クレーメルはすごいヴァイオリニストだと思う。どんな曲を演奏しても説得力がある。クレーメルが演奏しているなら買ってみようかと思わせる。

「ピアソラへのオマージュ」は95年の録音。ヨーヨー・マが演奏してCMで使われた有名なCDよりも何年か前の録音だと思うが、つい最近までその存在を知らなかった。

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ピアソラの音楽は暗い。そもそも、タンゴそのものがどこかもの哀しい音楽ではあるが、聴いていて切ないメロディだ。そしてとことん美しい。

一人で静かに夜を過ごすのには最適の音楽だと思う。
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マーラー交響曲第9番 : ノイマン

マーラーの交響曲第9番は僕がクラシック音楽の中で最も好きな曲だ。高校入学祝でもらった交響曲全集でこの曲を聴いて以来、もう30年が過ぎたが、その間、不動のベスト1である。

ショルティ、バルビローリ、バーンスタイン、カラヤン、ジュリーニ、クレンペラー、ワルター、クーベリック、マゼール、アバド、テンシュテット、レヴァイン、ラトル、etc.・・・。とにかくいろいろな演奏を聴いた。

何度聴いても新しい発見のある曲である。そしてこれが定番という演奏のない曲でもある。好みの演奏はあるが、100点満点だと感じた演奏は一つもない。曲の懐が深すぎるというか、さまざまな表情を持ったフレーズが限りなくあるので、一つの演奏がすべての点で他の演奏を凌駕するというのは不可能なのかもしれない。自分の気分に合った演奏を聴くことにしている。

今日、手にした演奏はヴァーツラフ・ノイマンが95年にチェコフィルと録音したものである。ノイマンが亡くなる数日前の録音で、結果的にノイマンの最後の録音となった。手元にあるのはエクストンのラボラトリーゴールドラインシリーズ。リマスタリングのSACDだ。

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ノイマンは言わずと知れたチェコの人だ。どうもチェコの人というとドヴォルザークとスメタナの人と思ってしまうのだが、アンチェルもしかり、チェコは伝統的にマーラー演奏の先進国らしい。交響曲第9番はノイマンにとって三回目の録音である。

この演奏、僕にはなかなか評価の難しい演奏である。歌にあふれた演奏だ。息の長いフレーズとホールのエコーがあいまって余計にそう聞こえる。美しい演奏だ。心臓病を自覚したマーラーが作曲したこの曲は、生に対する希望と同時に死を予感させるとよく言われるが、ホールトーン豊かな録音のせいで全体が現実の音楽のように聞こえないのだ。そう、死を予感させるというより、すでに死んでしまったことに気づかずに音楽を聴いているようだ。(死んでから音楽が聴こえるわけもないだろうが。)

夢の中にいるような不思議な気分にさせてくれる演奏だ。

Bruckner Sym. No.5 : 朝比奈

一週間の出張を終えて帰国した。空港に着いて外の空気を吸ってホッとする。少し乾いているけど快適な気温だ。つくづく四季のある国に生まれて幸せである。

出張で疲れているが、一週間ぶりに何か聴きたいと思ってしばらく考え、朝比奈隆のブルックナーに落ち着いた。

朝比奈隆の演奏は何種類かCD化されているようだが、僕の手持ちは92年にサントリーホールでライブ録音された新日本フィルとのものだ。第一楽章冒頭のベースから力のこもった熱演である。そこここで指揮者の小さなうなり声も聞こえてくる。

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朝比奈隆という指揮者の名前は長い間承知していたが、クラシックを聴き始めたごく初期に聴いたブルックナーの7番を除くと好んで聴くようになったのはごく最近のことだ。宇野功芳氏のブルックナー論があまり好きでなかったために、その中で強く推されている朝比奈隆の演奏を敬遠してしまっていた。

二年前くらいに購入したエクストンというレコードレーベルの企画セットの中に朝比奈の指揮するベートーベンの英雄が入っており、それを聴いたのが考え方を改めたきっかけである。その何一つ特筆すべきことのない、しかし同時に、説得力のある抗いがたい名演奏に驚き、それ以来、少しずつ聴き始めた。

この交響曲第5番の演奏はマーラーの第9番の演奏と並び、僕の中で今のところ朝比奈隆のベスト盤である。後者がそれほど世評を聞かないことに比べるとこの演奏は評価も確立しているようだ。たまに日本のオーケストラのことをボロクソに言う人がいるが、理解に苦しむ。現にこの演奏に聞く新日本フィルの演奏は素晴らしいものだと思う。

ちょっとオンマイクなのと高音域が少し煌びやかなところ(これはもしかしたらDSDマスタリングの際の演出かもしれないが)を除けば録音も悪くない。しかし何より指揮である。英雄でそうであったようにここでも何か一つ特筆するようなことは何もない。最初から最後まで音楽は滔々と力を湛えて流れていく。途中で聴くのを止めるのが難しい演奏だ。

シカゴ響とこの曲を演奏する朝比奈の姿を収めたDVDがある。こちらは音があまりにデッドなので、録音込みの演奏レベルで言えば新日との演奏のほうがずっといいが、何しろDVDは指揮者の姿が見れるので、見たことない人はぜひ見て欲しい。感動すること請け合いである。演奏終了直後に満員の客席が一斉にスタンディングオベーションする光景を見れば日本人としてこの指揮者のことを必ずや誇りに思うだろう。

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一方、その指揮姿は申し訳ないが素人から見てもどうにもぎこちない。なんというか格好よくない。これでオーケストラに必要な情報が伝わるのだろうかという感じなのだが、出てくる音楽はすごい。

必聴の一枚である。


シンガポール

久しぶりにシンガポールに来た。出発した日が非常に寒かったので到着後の暑さはひときわだ。コンスタントに30度以上の気温なので外に出るとあっという間に汗をかく。

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一方、仕事中はとんでもなく寒い。エアコンの設定をみると16度とかになってる…。僕はワイシャツにジャケットでも寒いのだが、現地のスタッフはノースリーブで平気な顔をしている。どうかしてると思うのだが…。

それにしてもホテルの部屋から見る限り建設ラッシュだ。この小さな都市国家がこれだけの長い間発展を続けているのは偉業だと思う。

でも、やっぱり日本がいいな。早く帰りたい。

Bruckner Sym. No.5 : Haitink

ブロムシュテット盤に続きブルックナーの交響曲第5番で紹介したい演奏がこれ。

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2012年12月に行われたバイエルン放送交響楽団との演奏のライブ録音である。これはもう本当に名盤である。メロディの美しさも強奏時の迫力もクレッシェンドのスケールの大きさも楽曲の構築も文句なし。ライブ録音だから本当に小さな疵はあるものの、全体の中ではとるに足らない。もちろん最新録音だけに音も良い。

こうしたオーケストラ自主制作盤はだいたい価格がこなれているものうれしい。SACDハイブリッドで1600円程度なので演奏のクオリティを考えたら手放しでお薦めだ。

僕がクラシックを聴き始めた頃、ハイティンクは評論家にひどく酷評されていた。その影響をもろに受けて僕はハイティンクの音楽をあまり聴いてこなかったが、この演奏を機にいろいろな演奏を聴いてみるつもりだ。

最近の録音のみならず、70年代以降、膨大なレコーディングがある指揮者だけに、名盤発掘がとっても楽しみである。

Fujifilm XF-1

Leica X-1を購入したと書いたばかりだが、実際、最近デジカメを使う時にはFujifilmのXF-1が定番である。Fujifilmのデジカメラインでは最高級シリーズがXシリーズだが、その一番下に位置づけられるXF-1は普通に便利なコンパクトカメラ。

しばらく前、中野のフジヤカメラをぶらっと訪ねたときに銀塩カメラまんまの姿をしたX-proやX100、X10が並んでおり、久しぶりにデジカメにグッと来たのだが、しかし実物を見ると結構大きい。

大きいと言ってもフィルム時代のレンジファインダーサイズなのだが、不思議なものでデジカメのような便利な機械にはその上を求めてしまう。ズームコンパクトのX20は一応、手にとってみたのだが、佇まいは美しいのにズーミングするとレンズが伸びて先細のレンズがむき出しになる。すごく欲しいとは思わなかった。

その中にまるで異母兄弟のようなXF-1が居心地悪そうに並んでいた。和洋折衷のような、なんというか不思議な装いのカメラだ。最初に見た時は論外のデザインだと思ったのだが、触ってしげしげと見てみるとなかなかどうして悪くない。もちろんズームリングを回転させる(そしてこれがスイッチである。)とX20の比ではなくレンズは突き出すのだが、このデザインだと仕方ないと思える。だって、これはデジカメであって芸術的工業製品である銀塩カメラとは違うのだ。まあ、いいかと思えるのだ。

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機能は僕にとっては申し分ない。25mm-100mm換算の焦点距離は非常に使いやすい。合焦スピードも速くシャッターラグも少ない。一昔前のデジカメに比べると本当に進化している。明るいのは広角側だけで望遠側の開放絞りはぜんぜん大したことないが感度を高く設定できるデジカメの場合、それほどの問題はない。ぼけは期待できないが、そもそもこのセンサー面積ではぼけに期待するほうが間違いだ。

最近、忙しすぎてカメラを持ち出す機会がまったくなかったが、次の出張にはこっそりお供として持っていこう。

関が原

司馬遼太郎の「関が原」を読んだ。受験科目に歴史がなかった僕は高校を卒業するために申し訳程度に日本史を学んだだけなので本当に歴史に弱い。関が原と言えば東海道本線と北陸本線の分岐点であること、そのため町であるにもかかわらず新幹線が止まること、そしてはるか昔から陸の要衝なのに今現在も(車窓から見る限り)驚くほどのどかな町並みであることを知るのみだ。

もちろん関が原の戦いという言葉は知っている。徳川と豊臣との戦いだったということも知っていたが、その人間模様、そして徳川家康がどれだけ戦略家であったか、ということをこの本を通じてしみじみと理解した。

映画「のぼうの城」で有名な忍城を攻めきれなかった武将、石田三成。この「関が原」の中でも頭脳明晰なことが災いして人間の弱さ、ずるさを理解できないことが致命的な弱点として描かれている。が、その一方、自らを引き立てた豊臣秀吉に対する忠義、近江の民から慕われた名領主としての一面、大谷吉継や島左近らの三成に対する忠誠等、三成がひとかどの人間ではなかったこともまざまざと描かれていて本当に読み応えがあった。

たった19万石の小大名だった三成が数百万石の大大名徳川家康をもし打ち破っていたら日本のその後はどうなっていただろうか。考えても仕方ないことだが、ふとそう思った。

そう、この本を読みながらずっと僕は石田三成のことが好きなのだ。頑迷で感じの悪い男だが、自分の信じた正義に忠実だ。だからこそ少数ながら三成の博打に同意し、敗戦濃厚となっても討ち死にを恐れない盟友がいたのだろう。それに比べると家康のずる賢さや戦況を見て利を選ぶ諸武将はどうしても好きになれない。彼らのような利口者が世の中いつも勝ち組なのかもしれないが。

日本の歴史に燦然と輝くこうした大武将に自分を重ね合わせるのはあまりにおこがましいことかもしれないが、死に臨んで自分の人生を振り返ったとき、素直に自分を認められる生き方を選びたい。

「関が原」の終盤、大谷刑部吉継の死に様と、黒田如水と初芽の会話のくだりがとても良い。

Leica X1

久しぶりにカメラを買った。いつものように中古だ。買ったのはLeica X1。Leicaのコンパクトデジカメである。銀塩時代に比べてカメラへの興味がすっかり減ってしまったのでなんとなくしか知らなかったのだが、コンパクトデジカメはずっとパナソニック製だと思っていたのがこれはどうやらLeicaオリジナルと言えるモデルっぽい。

とはいえ、センサーについて今さらLeicaに内製できるはずもなく、センサーはソニー製と聞いた。筐体はオリジナル。バルナック型を彷彿とさせるスタイルだ。

後継機であるX2も販売されていて性能はそちらのほうが良いのだろうが、スタイルはX1の方が良い。X2はアクセサリーシューが飛び出していて不細工だ。おそらく機能的な意味があるのだろうが、まあいい。

さっそく撮ってみようと思ったのだが、バッテリーが空だった。まずは充電しなくちゃ。

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箱が大きいなあ。

Best of David Lee Roth

普段、もっぱらクラシックを聴いているが、時たまへヴィーメタルやポップスが無性に聴きたくなることがある。

HMVのサイトで買い物中に見つけたのがこれ。

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うーん、趣味が悪い。普通にしていれば格好いいのになんでこんな写真なのか。

David Lee Rothのソロ盤は二枚しか知らないが、その二枚が一枚になったようなベスト盤。ちなみに中古で210円だった。HMVの中古は普通の中古ショップと違い、盤や包装の程度や状態について詳細の記述がない。信じて買うしかないのだが、今まで外れたことがない。新品と一緒に購入するとどれが中古か一見しただけではわからないくらいだ。程度を言わないくらい品質には自信があるということか。

話が横道にそれてしまったが、このCDを聴いていると80年代終わりから90年代初頭の記憶が一気によみがえる。曲も最高だ。やっぱり格好いい。

耳鳴り

ここ1週間くらい左耳の耳鳴りが気になる。ちょうどオーディオのホワイトノイズみたいな音がずーーーっと鳴っている。ツイーターから聞こえるような高い音だ。

世の中、突発性難聴で苦しんでいる人が結構いるみたいだ。ストレスが原因のようだが、僕も結構ストレスフルな仕事をしているし、もしかしたらそれかな。と、思い始めるとますます気になる。

2週間前にこの音が聞こえていなかったかというとはっきりとした自信はない。聞こえていたかもしれないし、聞こえてなかったかもしれないし。

しばらく悩んでいたが、今日、思い切って耳鼻科に行ってみた。以前行った時もそうだったが、まずは必ず聴検だ。ヘッドフォンのようなものをつけて音がしたらボタンを押してくださいっていう、あれである。

この聴検、普通の健診のメニューにも入っているが、僕はこれが苦手だ。なんとも緊張する。個室に入れられた瞬間からドキドキして自分の心音が聞こえてしまう。ただでさえ小さな音だし、知らないうちに息を止めてたりして。まったく平常心ではいられない。

ヘッドフォンの後に、片方だけヘッドフォンとは違うアタッチメントを耳の後ろの骨につけて骨伝導検査をするのだが、気のせいか前回に比べてぜんぜん聞こえない。やっぱり難聴の入り口なのか・・・。不安が募る。

しばし待った後診察室に呼ばれて結果を聞いた。意外なことに前回の検査よりも結果が良いという。一般的に問題のない値であるばかりか、健康人の平均値よりもはるかに良く聞こえているらしい。では、いったい、このホワイトノイズはなんなのか?

「40歳過ぎるとだいたいピーとかキーとか聞こえるんですよ。私なんて両耳ひどい音がします。」先生はそう言った。「昼にも聞こえるのはちょっと気になるけど、静かな部屋にいる時に聞こえても気にしないことです。眠れるうちは大丈夫。」

なるほど。

そう言いつつ先生は軽めのステロイドを処方してくれた。ご存じのとおり、ステロイドはいったん始めたら勝手に離脱できない。今日から一週間、とりあえず飲み続けなくては。

SM-SX10(3)

Sharpからの回答が来た。

大変恐縮でございますが、弊社1ビットアンプSM-SX10のiLink入力端子は
フローレート制御に対応しておりません。
せっかくお問い合わせいただきましたのに、誠に申し訳ございませんが、
製品の仕様としてご理解賜りたく、お願いいたします。


内容は残念だが、回答はずいぶん丁寧だ。いいえ、こちらこそ勝手に期待してすいません。

今さら買う人はめったにいないだろうが、ここにはっきり記しておくので、勝手な期待でこれ以上Sharpお客様係の人を苦しめないようにしてね。

SM-SX10(2)

SM-SX10にはiLinkがついているが、果たしてこのiLinkはフローレート制御に対応しているのだろうか?

ソニーのH.A.T.S、パイオニアのPQLS、それに固有名称はないようだがエソテリックのDACもiLink入力はプレーヤーとの相互通信によるフローレートコントロールに対応していると明記している。一方、SM-SX10についてはどこを探しても何も記述がないようだ。

うーん、もしiLinkにこの機能がないのであれば、ちょっと興味半減である。SM-SX10のデジタル入力部のクロックを交換しようかとも思ったのだが、通常の片方向通信であれば無意味だ。仮にクロックをアップグレードするなら増幅部のクロックを交換する方がいいが、購入したアンプは最高級品ではないもののすでにクロック交換されているし…。

調べてもわからないのでシャープに直接メールで問い合わせてみた。

どんな返答が返ってくるか乞うご期待だ。

スクリャービン:プレトニョフ

Alexander Scriabinの前奏曲が収められたCDを買った。Pletnevの演奏である。Scriabinはロシアの作曲家だが、その作品、特に前半生に書かれた作品はショパンの作品をよりいっそうほの暗く情熱的にした感じのロマンティックな作品が多く、僕は大好きだ。他方、後半はだんだん神秘的というか宗教的な色合いが濃くなってしまい、良くわからない。

この作曲家の曲を初めて聞いたのはホロヴィッツの演奏するCDだった。これはもう圧倒的な、ホロヴィッツ的な演奏である。果たして楽譜をどのくらい尊重しているのかわからないが、しかし、ホロヴィッツの演奏を聴いてしまうとほかの演奏がみなつまらなく聞こえてしまう。アシュケナージも悪くないがやっぱり少し物足りない。

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で、見つけたのがこのCD。プレトニョフの弾く前奏曲集だ。ソナタも2曲。プレトニョフは好きなピアニストだし、何よりCDのジャケットの雰囲気が良かった。しかも764円。まだ新しい録音なのに安いなあ。

聴いてみて満足である。24の前奏曲作品11はライブ録音だが技術的には完璧。この曲に相応しい感情のこもった演奏だ。録音もホールのエコーがほど良く収録されており聴きやすい。もちろんホロヴィッツほど灰汁は強くないが、素敵な演奏である。これならScriabin本人が聴いてもびっくりしないだろう。



ショスタコーヴィッチ:交響曲第10番

村上春樹の新刊「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」が大人気だ。出版前から50万部印刷して初日の売れ行きでもう60万部だという。すごい。

「巡礼の年」はリストの曲だが、今回の作品の名前がアナウンスされた段階でタワーレコードはこれをリストの曲と読んで何人かのピアニストの弾く「巡礼の年」のCDをメーカーに発注したと言う。素晴らしいマーケティング能力だ。もちろん演奏者が誰かわからなかったので最小単位の発注だったということだ。ふたを開けてみればベルマンの演奏だったらしい。早速ネット上はこのCDが売り切れ。しかし、外れだった「巡礼の年」はどうなってしまうのか?

村上春樹の小説にはよく音楽が登場する。前作「1Q84」では「シンフォニエッタ」、「海辺のカフカ」では「大公トリオ」といった具合に。クラシック以外にジャズ、ロックもちょくちょく出てくる。

こうした直接の引用はないのだが、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んだ時、僕はショスタコーヴィッチの交響曲第10番が頭に浮かんで離れなかった。薄暗い雰囲気、突然の喧騒、言いようのない危機感といった曲の印象と小説の印象が自分の中でピッタリなのだ。

僕以外にこのサイトを見ている人はまずいないと思うが、もしいたら、そして、もしあなたが村上春樹が好きならば、ぜひ一度お聴きあれ。

SM-SX10(1)

Sharpははるか昔、オプトニカというブランドでそこそこ立派なオーディオを売っていたらしい。「オーディオの足跡」さんのサイトで見るとなかなか格好いいプリメインアンプのカタログが載っている。その頃からSMという品番なんだなあ。

時代は下って20世紀末にSharpは1ビット技術を使った高級プリメインアンプを発売する。SM-SX100だ。このアンプ、ブランドにこだわらない人の間ではすこぶる評判がいい。往年のオーディオ好きたちはいわゆるデジタルアンプを毛嫌いする人が多い。アナログアンプを営々と販売してきたオーディオメーカーはデジタルアンプのことを評価しないだろうし、そうしたメーカーと二人三脚だった多くのオーティオショップも然り。客観的にデジタルアンプを評価するのは難しいだろう。加えて一口にデジタルアンプと言っても様々だから、実際、音のいいものもあれば首をかしげるようなものも存在する。

僕は2003年にオーディオを再開してからしばらくしてSM-SX100を購入した。2005年くらいだったか。その存在を知ってから割とすぐのことだったと思う。福岡の吉田苑さんから試聴機を借り、すっかり気に入ってそのままその試聴機を購入した。吉田苑さんもちょうどデモ機処分のタイミングだった。

僕は何につけてもB級グルメだ。この場合、SM-SX100がB級ということではないのだが、その分野で保守本流ではなく「知る人ぞ知る」とか「わかる人にはわかる」といったものになぜか強く惹かれてしまう。試聴機を聴いて音が気に入ったことは間違いないが、金額的にはAccuphaseでもLuxmanでも海外製品でも買えたのにSM-SX100を買ったのは普通の人ならテレビか生活用品だと思っているSharp製だったことが最大の理由だった。

このアンプはとても気に入った。とにかくグリップ力がある。レンジも伸びており凸凹がない。低音が弾むこの音が気に入るとほかに選択肢がなかなかないのだ。それ以来ずっと使っていたのだが故障が増えたので下取りに出し、最近、別のアンプを買った。

今度は中国製のDUSSUNだ。こちらは輪をかけて不人気モデルだろう。ネット上でこのアンプをよく言う人は非常に少ない。そもそも実機を聴いた人が少ないだろう。聴いてみると良いアンプである。SN比がよく、上から下まで変な癖もない。音像は奥に展開する。クラシックを聴くにはとても良い。このアンプ、アウトレット品で25万円だった。中古なら15万円くらいで売っている。国産のアンプと比較しても圧倒的に安い。さすが中国製だ。一旦、ヨーロッパに輸出してダニエル何とかという名前でもつければ100万円でも安いと言われるだろう。

DUSSUNには満足しているのだが、最近、ネットでSM-SX10の中古を見つけた。ノーマルではなく吉田苑さんがクロック交換した改造機だ。僕の環境ではプリメインアンプが二台あっても仕方ないのだが、速攻で購入してしまった…。

SM-SX10は1ビットではジュニア機だ。100や200とは造りも違うし、同じ音はしないだろう。しかし、僕は10が特に欲しかったのだ。なぜならこの10のみがIEEE1394に対応しているからである。現在使用しているSCD-DR1にはiLinkがついていてSACDを含めデジタルアウトできるが、ご存知のとおりこの規格はオーディオでは絶滅寸前である。開発者であるソニーすら現行製品ではSCD-DR1と、そのコンビとなるTA-DR1しか対応がない。それどころかiLinkケーブルも付属品以外はデジタルビデオ用を販売するのみ。いくらなんでも開発者としてひどいと思うが、嘆いていても仕方ない。

ネットではiLink経由の音が良いという評価が多く、いっそTA-DR1を買おうかと思ったこともあるがiLinkのためにだけに買うには高すぎると逡巡していた。他にEsotericという手もあるが、VRDSに興味はあってもDACにはそれほどの興味がない。だいたいDACはもうPerfectwaveがあるので十分だ。こう思っていたところに10の中古が出た。まさにうってつけだ。

iLinkは相性があるらしいので認識してくれるかちょっと不安ではあるが。とにかく今は到着が待ち遠しい。

ショルティのマーラー(2)

最初に買ったLPでは交響曲第1番、第3番、第4番、第9番が旧録音であり、第2番、第5番~第8番、大地の歌がCSOとの演奏であった。特に第2番はまだ録音したてであり、その録音の鮮明さは自宅のプリミティブなステレオ(オーディオといよりもこっちの方がしっくりくる。)でも驚きだった。

僕は「大地の歌」の良さがどうもいまだにわからないのであんまり聴いたことがない。それ以外の曲はずいぶんと聴いてきたが、この段階でのCSOとの演奏は、その後のいろいろな演奏と比較してもそん色のない、素晴らしい演奏だと思う。

CSOと録音しなおした4曲については、いずれも総合的に再録音の方が好ましい。一方、第2番については旧録であるLSOとの演奏も捨てがたい。古いが録音も良いので、両方とも愛聴盤だ。

ショルティのマーラーで一曲だけ満足できないのが第9番だ。旧録音はちょっとほかでは聞けないような豪腕タイプの演奏で、特に第1楽章の最初の山を迎える辺りで聴こえるベースの強さなど捨てがたいのだが、第4楽章が粗雑な感じでいただけないし、CSOとの再録音はとりたてて良くも悪くもなく、百種類に及ぼうかというライバル盤と比較した時、この演奏を求める積極的な理由がない。個人的には全交響曲の中で第9番がダントツに好きなので、非常に残念。

他方、第2番、第5番、第6番については、いずれも数多い名盤の中で個人的にはトップ3に入る。復活は録音の良さも手伝ってスリリングかつ感動的だし、第5番はさすがレコードアカデミー賞受賞だけのことはある。筋肉質の演奏で最後まで弛緩することがない。第6番も冒頭のリズムから魅了される。

これからもずっと聴き続けていくことになるだろう。

ショルティのマーラー(1)

さて、ショルティで聴き始めたマーラー。83年当時、日本でのショルティの評価は賛否両論、どちらかと言えば否定が優勢という状況だったと思う。

すでにデッカのスターでDGのカラヤン、CBSのバーンスタインと同様に夥しい数の録音を行っていたショルティが日本でどうして低評価だったのかよくわからない。日本人はオーセンティック志向なのでヨーロッパの音楽はヨーロッパの中枢で活躍している人間しか評価したがらないからだろうか?

それに日本の社会は精神性という言葉も好きだ。精神性という言葉もよくわからないが、「精神性の高いもの」はあんまり日なたには出てこないような気がする。むしろ薄暗い、陰影に富んだ、複雑に何かが絡み合ったもやもやしたところにひっそり「精神性」は存在しているのだろう。

とにかくショルティのつくる音楽の印象はそういうものとは程遠い。「楽譜に書かれている音符はすべてそのとおり音にすること、リズムは常に鋭くインテンポで、タイミングは全員揃えること。以上。」といった感じなので、聞こえてくる音楽は常に陽性である。陽気というわけではない、音楽が白日の下に照らされているのだ。

たぶん、この明快、明晰な解釈が気に入らない人も多いのだと思う。作曲家の抱えていた苦悩やら不安感、あるいは情熱や狂気といったものが伝わらないということか。確かに作曲家というのは精神を病んでいた人も多いようなので、言わんとしていることがわからないでもない。(ただ、そう言わんとしているかどうかについてはよくわからない。)

では、ショルティの音楽には苦悩や不安や情熱や狂気がないか、と言えば、僕はそんなことはないと思う。おそらくショルティにとってはそうしたすべての感情は楽譜に書かれているのであり、それを忠実に再現すれば表現としては十分ということなんだと思う。それに加えて指揮者やオーケストラが全員で泣いたり悲しんだりする必要はないということなんだろう。

そうしたショルティの美学は彼のマーラーにも存分に表現されている。バーンスタインは言うまでもなく、アバドやレヴァインでさえも旋律やリズムを引きずったり伸ばしたりする部分があるが、ショルティの場合、それらは極めてまれだ。基本的には最初に決めたリズムを最後まで貫きとおす。そしてリズムは概して早めである。

交響曲全部を通じてショルティの演奏は一級品だと思うが、そうはいってもやはりこの哲学がはまる曲と必ずしもという曲があると思う。

マーラー交響曲全集

高校の入学祝に祖父から大きなLP全集を二つも買ってもらった。こんなチャンス二度とないと思ってものすごく長い時間をかけてレコードを選んだ記憶がある。田舎のレコード屋には期待できない。秋葉原の石丸電気レコード館に叔父と一緒に行った。叔父はクラシック音楽にまったく興味がなく、本当に退屈だったと思う。よく最後まで付き合ってくれたものだ。

あーでもないこーでもないと自問自答を繰り返した後、最終的にはベートーベンとマーラーの交響曲全集を購入した。ベートーベンが9枚組み、マーラーが16枚組みだったと思う。確か9000円と13000円だった。LPのサイズが大きいこともあるが、今のCDのBOXセットに比べるとかなりの大物だ。ライナーノーツの類もちょっとした読み物といったボリュームがある。とにかく中学三年生を狂喜させるに十分の品物だった。

当時、悩みに悩んで最終的に購入したのは両方ともサー・ゲオルグ・ショルティの指揮する全集だった。ベートーベンはすべてシカゴ響との演奏だが、マーラーはシカゴとの録音が現在進行形のタイミングだったのでロンドン響、コンセルトヘボウとシカゴ響のミックスで全集が構成されていた。

1983年の話である。ベートーベンの全集は当時でもけっこうな種類の選択肢があった。カラヤン、ベーム、ヨッフム、オーマンディ、クーベリック、ワルター等々ステレオ録音に限ってもレコード屋で悩むに十分な枚数である。他方、マーラーの全集はその段階ではバーンスタイン、ハイティンク、クーベリック、ショルティがすべてだったのではないだろうか?

その後、マーラーの曲はどんどん人気が上がり、いまや百花繚乱という状況だ。HMVやアマゾンでマーラー交響曲全集と入れればびっくりするほどの数がヒットする。この30年間に僕もおびただしい量のマーラー録音を聞いたが、本当につまらないと思った演奏はほとんどない。このフレキシビリティというか懐の深さがマーラーの人気を支えているのだと思う。

読書

僕はあんまり活字を読まない。本が嫌いというわけではないが、小さい頃から読み物にはあんまり興味がなかった。写真集だとか地図とか百科事典みたいなものは大好きなのに。

だから作家の名前も良く知らないし、いわゆる名作と呼ばれる書籍も読んだことのないものだらけだ。歳を考えると恥ずかしい限りである。

厳密に言うと一度だけ突然読書魔になったことがある。大学二年の十月から一ヵ月半くらいの期間だ。今から振り返ると少し鬱状態だったのかもしれない。もっともなぜ鬱状態になったのかは定かではない。行き先を見失ったような、エネルギーが足りなくなったような状態になって、当時借りていたアパートの部屋からほとんど出なかった。寝ている時間以外はまるでそれまでの借りを返すように本を読みまくった。

確かサガンが皮切りだったと思う。なぜサガンか?その経緯はまったく覚えていない。とにかくサガンから始まって、後は、罪と罰とか大地とか嵐が丘とか老人と海とか、聞いたことのあるようなタイトルの本を片っ端から読んでいった。

不思議なことにこのとき読んだ60冊近くの本の内容は、今、たった一行も覚えていない。本当に読んだのかという気すらする。現実には紛れもなく読んだし、これらの本はしばらくの間僕の部屋に誇らしげに積んであった。本を読むという行動は表層的なものでその時間精神はずっと違うことに向かっていたのかもしれない。

今、どうやらその時以来の波が僕を訪れているようだ。幸か不幸か仕事をしている今は本を読む時間は大学生時代に比べて大幅に限られているが、読書しながら音楽を聴くのが今の僕の楽しみだ。

大学生の頃から20年以上が経過し、同じ本を読んでも感じ方はずいぶん違う。何を言いたいのかわからなかった文章におぼろげながらも意味を感じたり、自分を重ね合わせたり。温かい気持ちになったり哀しくなったり。

汲めども尽きぬ泉のように、読みたい本は山ほどある。今度はじっくり読んでいきたいと思う。

春の嵐

今日は全国で天気が大荒れのようだ。この辺は午後4時くらいから雨が降っているが、家の中にいる限りそんなに暴風雨という感じではない。とはいっても、ずっと音楽をかけているので気づかないだけかもしれない。

二・三日前のニュースによれば、去年の今頃もちょうど大荒れの天気だったらしい。一年経つと記憶があいまいだ。そんな天気だったことなんてすっかり忘れていた。

こんな調子だから確信はもてないが、それにしても近頃の天気は一昔前の天気とはやっぱりずいぶん違っているような気がする。こんなに風が強い日って、若い頃は台風の時くらいだったような気がするが…。台風並みの強風とか大雨とかがとにかく多くないか。

温暖化なのかプチ氷河期なのかどちらかはっきりしないが、とにかく地球は変化しているようだ。

MSB Technology

音がいいらしい。でも、販売店が限られていて、なかなか実物を見る機会がないオーディオ製品がいくつかある。

例えばspectralのアンプ。そしてMSB TechnologyのDAC。日本ではほとんど宣伝も見ない。

一度聴いてみたい。自宅視聴できるのかな?

ケーブルについて考える

オーディオに興味のない人と会話していて、たまたまオーディオがトピックになったとする。僕はそういう時、相手がもういいと言うまで、あるいは表情でもう十分ですとわかるまで、できるだけ懇切丁寧に説明することにしている。親切心というより、単に聞いてほしいのだ。

たいていの人が驚く事実として、機器本体もさることながら、その機器をつなぐケーブル、あるいは機器を置く台がびっくりするほど高いということがある。

親がオーディオ好きだとか、ジャズ喫茶を経営しているとか、オーディオショップを経営しているなんて場合には物心ついたときからそうした高級品に接していることもあろうが、そうでない場合、おそらく最初のケーブルは付属品で、そのうちなんとなく家電量販店の片隅に置いてあるやたら箱が豪華なケーブルにあこがれ、いつの間にか機器本体の価格より高いようなケーブルをなんとも思わなくなる。慣れというのは恐ろしいものだ。

僕の場合、初めて本当に高額なケーブル体験をしたのは10年前くらいのことだ。ダイナミックオーディオというオーディオショップがある。オーディオ好きならみんな知ってる有名な高級ショップだ。ここでエソテリックのP-70、D-70というCDトランスポート+DACを借りた。言わずと知れたエソテリック最後のCD再生専用機だ。その際、親切なことに試聴機にケーブル一式、電源2本、デジタルケーブル1本、アナログ(RCA)ケーブル1対、すべてエソテリックの高級品がついてきた。それぞれ70万円、80万円の機材にもたまげたが、ケーブル一式でさらに70~80万円するという事実に驚愕し、同時に、なんというか感心した。「価格を形成するのはコストではなく価値である。」という経済の真実を目の当たりにしたからだ。

そこから出てきた音は、とっても良い音だった。すごく鮮烈で刺激的だ。同じCDからそれまで聞こえなかった音が聞こえ、あるいは隠れていた音が解き明かされ、スペキュタクラーな音楽が聞こえてきた。少なくともその時点で僕が使っていた国産高級メーカーのユニバーサルプレーヤーとはまったく鮮度の違う音だった。ここまで鮮度が高いとこの音が嫌いな人もいるだろう。それに聴く人というか聴く部屋を選ぶシステムだと思った。僕は、この音を小さな部屋で聴きたいとは思わない。

この時、エソテリックの方向性はケーブルを含め入口から出口まで完結することでより徹底できていると感じた。高価だし好みも分かれるだろうが、それがメーカーの主張なのだ。

僕はその音が嫌いではなかったが、でも、ケーブルに10万円単位を投入するのは辞めようと思った。ケーブルに色や香りや味を求めるか、伝送手段と割り切るか、で価格はゼロが一つ増えたり二つ増えたりするのだ。そして僕は後者を選ぶ。

世の中には高いケーブルを親の敵のように非難する人もいるが、それは余計なお世話だ。高級ケーブルでメーカーがぼろ儲けするのがけしからんという人もいるが、儲けないメーカーなんてそもそも存在し得ない。もし広告に明らかな嘘が書いてあったら許しがたいと思うが、そもそも音を言葉で表現すること自体相当難しい。その人にとっての「価値」は万人共通ではないのだから、所有していて満足できるなら10万円でも100万円でもいいじゃない。と思う。

そう言いつつ、伝送手段で十分と考える僕が使っているケーブルは今ではすべてネット商品だ。ネット上で買えるケーブルもたくさんあるが、僕はあのプロケーブルの大ファンである。ここのサイトは本当に笑える。でもケーブルは間違いない。

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プロケーブルもshimaケーブルも吉田苑ケーブルもラダーケーブルも試してみた。みんな5000円から1万円くらいの商品だ。高いと言えばまだ高いし、エソテリックのケーブルや名の知れた他のメーカーのケーブルと比べればべらぼうに安い。

比較してどうか?いずれのケーブルも気分の差以上に差はないというのが結論だ。耳が悪い?自分ではそうでもないと思う。だって器材による音の違いはわかるし。でも音楽家が楽器の音色の違いを聞き分けるほど耳が良いとも思えない。このくらいの程度の耳には十二分のクオリティのケーブルであることは間違いない。

ネット通販がなければこうしたショップの商品には一生縁がなかっただろうから、便利な世の中になったと思う。






Bruckner Sym. No. 5 : ブロムシュテット

ブルックナーの交響曲第5番が好きだと先日書いた。その時も書いたがこの曲には名演奏が多い。せっかくだからいろいろ聴いた中で気に入っている演奏について感想を書いておこう。スコアも読めない素人の感想なので、まあ、日記みたいなものだ。

自分的に記念となる第一弾はブロムシュテット指揮ゲバントハウス管弦楽団の演奏。

Bruckner Symphony No.5

ブロムシュテットのブルックナーといえば、かなり以前に確かデンオンから何枚か出ていたと思う。その中のロマンティックは聴いたことがあるが、良くも悪くも自然に音楽が流れていくといった演奏だった。録音が良いといわれていたが、僕の購入したCDは録音レベルが低く、あんまり良い音だった記憶はない。

翻ってこの演奏。最近の例に漏れず音源はライブである。で、これまた最近の例に多いが、ライブだからといって演奏の粗のようなものはあまりない。SACDマルチで2000円弱の価格。SACDについてはCDと比較してぜんぜん音が良いという人もネット上多いが、僕には良くわからない。いずれにしても音は良い。

演奏は立派なものだ。

この人のイメージに違わず全体を通じて早足だが、落ち着かないとか焦り気味といった印象はない。盛り上げ方も堂にいっているし、それでいて人為的なところを感じさせない。音楽自体があるべき姿で形を現したといった感じの演奏である。

快速な第3楽章からフィナーレまでこの曲の構造を余すところなく再現して終わる。聴き終えて、ああ良い演奏を聴いた!と思える。壮大な建築物を築いていくような演奏とはちょっと違うが、しかし、手元に置いて折々聴いてみたいと思わせる快演である。

新年度

今日から新年度。

もう4月だというのに、正月をつい最近のことと感じるのは歳のせいだろうか。昨日一昨日は底冷えがしたが今日はいい天気だ。今日から新しい職場や学校に向かう人も多いだろうし、門出にふさわしい。

通勤中、買ったばかりという感じのスーツに身を包んだ人達を何人か見た。希望と緊張といろいろな気持ちでいっぱいだろう。まだしっくり身体にあっていないスーツがほほえましい。これからの一年が彼らにとって充実した記憶になることを祈ってやまない。
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