九重親方死す。

今日のニュースは都知事選一色になるかと思ったのだが、九重親方が亡くなったというニュースが飛び込んできた。都民でない自分にとって、正直言って、こっちの方が大ニュースだ。

僕にとって横綱千代の富士は北の湖以上にリアルタイムの大横綱。強かったのも強かったが、それ以上にめちゃめちゃ格好良かった。鍛え抜かれた身体は相撲取りのイメージを変えた。まさにアスリートだった。鋭い立ち合いで前褌を取ったらもうそれで勝負あり。大相撲を席巻するモンゴル勢と時代を超えて対決すると仮定して、絶対、互角以上の勝負ができると思える力士って僕の中では千代の富士しかいない。

引退後もダンディなまま、きれいに年を取られていたのに、まさかこんなに若く亡くなってしまうなんて。。なんともさみしい限りである。合掌。
スポンサーサイト

ストラヴィンスキー「春の祭典」 : カラヤン

カラヤン祭典

カラヤンには珍しいライブ録音でベートーヴェンの7番と「春の祭典」という変わった組合せ。確かに7番はベートーヴェンの交響曲の中ではその舞踊性で知られるが、と言っても、同じ組合せのCDは他にないだろう。ちなみに78年録音ということは共通だが、同日のコンサートではない。

カラヤンの「春の祭典」は63年と77年の2つのスタジオ録音がある。カラヤンの録音はストラヴィンスキーに批判されたせいか世評が芳しくないが、いずれもBPOの機能をフルに活用したとても立派な演奏だと思う。

翻ってこのライブ録音はどうか。まず、普段のカラヤン/BPOと違ってルツェルンで録音されたせいか、音の印象がかなり異なる。全体的にドライでデッドだ。演奏はライブであるにも関わらずスタジオ録音よりも落ち着いたテンポで進み、フレーズ一つ一つが明確でクリア。しかし、残響があまりにも少ないので音がぶつ切りである。ライブでもさすがBPO、特にミスもなくオケは上手いが、全曲を通じてティンパニは何か吹っ切れたかのどとく思い切り叩き続ける。ライブのカラヤンは熱いと言えなくもないが、7番同様、録音でカラヤンを聴くならやっぱりスタジオ録音に限ると思った。

The Cape Verdean Blues : ホレス・シルヴァー

horacesilvercapeverdean.jpg

僕はホレス・シルヴァーの作った音楽が好きだ。大学生時代に初めて聴いた時から好きだった。でも、なぜかホレス・シルヴァーのアルバムを集めようとは思わなかった。しばらくするとホレス・シルヴァーの名前を思い出すこともなくなってしまった。一昨年、ふいにホレス・シルヴァーが亡くなったという記事を目にした。失礼ながら、まだ生きていたのかと驚いた。そうして久しぶりに買った彼のアルバムが「The Cape Verdean Blues」だ。

"Cape Verdean"ってなんだろうと思って調べると彼の父親の出身地が「カーボ・ヴェルデ」であり、それが語源だと知った。「カーボ・ヴェルデ」ってなんだか想像上の地名みたいだ。実際はアフリカにある国の名前だと言う。地図で確認すると西アフリカの洋上に浮かぶ小さな島国。ホレス・シルヴァーのおかげで名前を知っている国が一つ増えた。

こういうジャズのことを「ハード・バップ」とか「ファンキー・ジャズ」とかいうらしい。何が「バップ」で何が「ハード・バップ」なのか、とか、「ファンキー」って何なのかよくわからないけど、これがそれなら僕はこういうジャズが好きである。どこが?って聞かれるとますます困るが、なんというかすごくメロディアスだしメランコリックだし、格好良い。特に5曲目、「Bonita」の始まり方が最高に好きだな。

ちなみにこのCD聴いてたら実に久しぶりに母親がドアを開けてずかずかと部屋に入ってきた。しばらくじっと耳を澄まして「これは音が良い。」と言い残して去っていった。と言うわけでこのCDの録音は一聴の価値があると思う。

休憩時間

マイルス・デイヴィスの「On the Corner」がお気に入りで、「ちょっと音楽聴こうか」という時に何気なくレコードを手にすることが多い。このアルバム、聴いていただければわかるが、冒頭に出てくるメロディというかフレーズが発展しながらずーっと繰り返される。マイルスのトランペットをはじめとしてトラックごとに総勢10名くらいのセッションだろうか。これが1972年、昭和47年にリリースされたのだから、その先進性に改めて驚く。

アルバムの感想を繰り返そうという話ではなく、そんなお気に入りのアルバムなので、つい最近、CDも買ってみた。電子的な処理をふんだんに含んだ作品なのでデジタル処理されたCDも面白かろうと思って聴いてみた。果たして聞こえてくる音楽はそんなに違わない。厳密に言えば楽器のバランスが違ってリズムセクションの音が強調されていたり、CDはトラックが進むにつれなぜか入力レベルが高くなったりといった違いはあるのだが、出てくる音楽が全然違ったりはしない。なのだが、一点だけ大きく違う。と言っても巷間オーディオファンの間で時に厳しく議論されてる高尚な音の違いの話ではなく、当たり前の話なのでがっかりしないでほしいのだが、CDには休憩時間がないのだ。

「休憩時間って何?」と思われるだろう。A面とB面の間の時間である。レコードはトラック2までがA面、そこで盤面を裏返す必要がある。強制休止である。2曲目が終了するとおもむろに立ち上がり、日によってそのまま裏返して聴き続けることもあれば、そこでトイレに行ったり、飲み物を取りに行くこともあるし、時間がなければそこで終わりにしたりする。いずれにしても、トラック2とトラック3の間には物理的に休止が入るのだ。翻ってCDはもちろんトラック1~4までが連続して再生される。CDはいつでも停止することができるが、能動的な停止が求められるので、停止する時は通常聴くのを止める時である。

この違いから何が起きるか。きわめて個人的な話であるが、「On the Corner」のCDは非常に退屈である。トラック3以降はこちらの集中力が途切れる。いつまでも同じような音楽が続いて苦痛だ。その結果、CDを買って以来、最後まで聴けたことがない。反対にクラシック音楽を聴いている時、レコードは煩わしいと感じることがある。起承転結、最後まで一気通貫で進んでほしいと思う時に盤面をひっくり返したりするのは興ざめである。レコードとCD、僕にとっての分け目は意外とこんなことかも。

ショスタコーヴィチ交響曲第7番 : ヤンソンス

ヤンソンスレニングラード

続いての「レニングラード」はマリス・ヤンソンスがまだ旧ソ連時代にレニングラード・フィルと録音したもの。88年録音なのでムラヴィンスキーが亡くなった年。ヤンソンスは当時、同フィルの副指揮者でムラヴィンスキーの跡継ぎ候補だったのだが、蓋を開けてみればその座はテルミカーノフが継ぐこことなった。

ヤンソンスの「レニングラード」はコンセルトヘボウと組んだ新しい録音があるのだが、副題が「レニングラード」だからやっぱりレニングラード・フィルじゃなきゃ、という気持ちに加え、バイエルン放送響、コンセルトヘボウのシェフになってからのヤンソンスは、僕には録音を聴いてもどうも真価がわからないので、むしろ若い頃の録音を聴いてみようということで旧録音を選んでみた。

先日、聴いたヴァシリー・ペトレンコ/ロイヤル・リヴァプール・フィルの演奏はペトレンコが若干36歳の時の録音だったわけだが、ヤンソンス45歳が指揮するこの演奏を聴いてみると二人の年齢がまったく逆のように感じる。それくらいペトレンコのオーケストラ操縦は巧みである。指揮者の技術も年代とともに上がるのだろうか。

だからと言ってペトレンコの演奏の方が良いというわけでもない。比較してヤンソンスの指揮はかなりストレートでテンポも速いし、細部の造り込みはペトレンコの方が神経行き届いているが、音楽の流れの良さ、説得力といった面ではヤンソンスの演奏の方が好みである。フィナーレに向かってどんどん音楽が白熱し、聴いているこちらも興奮が高まる。これで録音があと一歩鮮明で抜けが良ければ文句ないのだが。。

Focus 260 その後

イギリスから個人輸入したFocus260が我が家に到着して約1か月。今はFocusがメインスピーカーになり、それまで使っていたApogeeは売却、Spendorは別の部屋に保管している。当初、真空管アンプで駆動したのだが、Apogeeと入れ替わりで購入したSoulnoteのA-1に繋ぎ変えてみるとFocusとの組み合わせはA-1の方が好み。中低音が過不足なく鳴るし、高音もスッキリした。

前回も同じようなことを書いたが、このスピーカーはとにかく音離れが良くて、スピーカーが鳴っているように聞こえない。二本のスピーカーを結んだ線の奥にきれいにステージができる。ESLやStageを使っていた頃も同じように感じていたのだが、狭い部屋で平面型スピーカーを使っていた宿命か、Focusほどピントが合っていなかったことに気付いた。比較してFocusは細身で小ぶりなのでこの部屋によりフィットしている。もしかしたら同じDynaudioのブックシェルフはもっとクリスプでさらにピントが合うのかもしれないが、低音はある程度あきらめる必要があると思う。僕はオーケストラ物をメインに聴くので、このスピーカーくらいの厚みは欲しい。試聴もせずに買ったにしては実に良い買い物ができたと思う。

ショスタコーヴィチ交響曲第7番 : ペトレンコ

ペトレンコレニングラード

連休明けから鹿児島出張に出かけていたのだが、火曜日、水曜日とも夕方になるともの凄い雨が降るのにびっくり。たった二日滞在してたまたまのことではあろうが、それにしても雨粒の大きな盛大な雨であった。あまりの雨の勢いに空港の地上作業ができず着陸した飛行機の中で10分くらい待機したし、タクシーを降りてホテルの玄関まで歩道を10歩分横切っただけでびしょ濡れである。。まさにスコール。さすが南国である。

そんなこんなで先ほど帰宅したところ、週末に買ったCDが届いていた。ちょっとした熱病状態で、性懲りもなく「レニングラード」を追加で購入。買ったのはヴァシリー・ペトレンコががロイヤル・リヴァプール・フィルを指揮した一枚。実は、このコンビがショスタコーヴィチの交響曲全集録音を行っていることは今回知った。そもそも正直に言うと次期ベルリン・フィルの音楽監督に選ばれたキリル・ペトレンコの録音と勘違いして買ったのである。ヴァシリー・ペトレンコはロイヤル・リヴァプール・フィルの首席指揮者で、別人であった。

とにかく演奏を聴いてみる。冒頭、ちょっと意外なほどゆっくりとしたテンポで始まる。弦楽器はたっぷりとレガートがかかっている。そのままじっくりと進行するが、この人の指揮はものすごく見通しが良いというのが最初の印象である。楽器間のバランスを丁寧に描き分けているのは見事。そのせいかマーチが進んで音量が上がっていってもちっともうるさくならない。音楽の盛り上がりとともにテンポが上がっていくが荒っぽいところは微塵もない。すごいコントロールである。コントロールが効きすぎてコンドラシンの演奏にある暴力的な部分がすっぱりと欠落しているので迫力だけを比較したら今一歩だが、もともとそっちに向かっている演奏ではない。第3楽章は透き通るような弦楽器が素晴らしい効果を上げている。終楽章のフィナーレは少々ゆっくり過ぎるかと思わなくはないが、長大な曲を締めくくるにふさわしい大きな盛り上がりを見せて終わる。勘違いから聴いてみたものの、とても良い演奏であった。

それにしてもこのCDに聴くオーケストラの響きの良さといったらない。このオケの本拠地は音響の良さで有名らしいが、そのメリットを最大限活用した演奏であり録音である。

ショスタコーヴィチ交響曲第7番 : コンドラシン

DSC_9612 (2)

バーンスタインの「レニングラード」を聴いて以来、ちょっとした「レニングラード」ブームである。インバル、バルシャイ、ハイティンク、カエターニと手持ちの「レニングラード」を聴き漁っている。特に3楽章と4楽章は何度聞いても素晴らしい。フィナーレにはいつも鳥肌が立つ。

曲が良く出来ているせいか、上記の5種類、どれを聴いても不満は感じない。折しも7月号のレコ芸「現代名盤鑑定団」が「レニングラード」を取り上げていた。テーマ・ディスクに挙げられたのは井上道義指揮大阪フィルの演奏。この人の演奏は4番も名演の誉高いのでいつか聞かなくては。ところで、「鑑定団」では5種類の中でバーンスタイン、バルシャイ、ハイティンクは取り上げられているが、カエターニとインバルは取り上げられていない。両方ともすこぶる良い演奏なので納得いかない。ちゃんと聴いてないんじゃないの?

手元のCDで残る6枚目の「レニングラード」はコンドラシン/モスクワフィルの演奏。75年の録音で最強音時に低音がまったく聞こえないのがものすごく残念であるが、それ以外はまずますの録音である。それにしても、これが万全の録音だったら他を寄せ付けないような名盤だったろうに。。

演奏は非常にストレートで厳しい表現でグングンと進んでいく。録音のせいもあってか金管の咆哮や弦楽器の強奏は叫び声や悲鳴のごとく、空間を切り裂くという感じ。全体の造形は実に見事だし、ここぞというときの爆発の仕方は容赦ない。正しく戦争交響曲の様相である。それだけにフィナーレの歓喜はひとしお。最後の最後だけ一段テンポを落とし、大きく盛り上げて終わる。すごい演奏だ。

マーラー交響曲第9番 : マゼール

maazelmahler9.jpg

マゼール/フィルハーモニア管によるマーラー・チクルスのCD第3弾の中で一番の期待はこの9番だったが、先に超スローテンポの7番を聴いてしまってしばらく胃もたれ状態。今日は連休で体調も悪くないので思い切って聴いてみた(笑)。

ウィーン・フィルとの演奏も決して速いテンポではなかったが、それに比べても実にスローテンポである。フレーズ一つ一つため息をつきながら演奏しているかのごとくだ。第1楽章は推進力不足で今にも止まりそうな、そんな感じで幕開けしてそのまま最後まで進む。第1楽章が35分48秒。聴く方もなかなかしんどい。

長大な第1楽章に続く第2楽章は突然現実に戻されたがごとく常識的なテンポで始まる。実際は16分近くかかるので遅い方だが、前の楽章とのコントラストでかなり速く感じる。とりたてて言うことのない普通の演奏なのにすっきりと鮮やかに聴こえる。第3楽章はオーケストラの妙技と緩急自在のコントロールが面白い。

ウィーン・フィルとの演奏は良い演奏だが、僕は終楽章があまり気に入らなかった。この演奏、ここまでのテンポ、この細部への集中力を聴いて一番期待したのが終楽章である。そして、その期待は見事に叶えられた。30分近くかかるテンポ面を除けば、風変わりなところはまったくない。切々と惜別の音楽が奏でられるのみであり、それがとても良い。95分間、聴いた甲斐があった。

ショスタコーヴィチ交響曲第1番 : チェリビダッケ

celibidachefrancerussia.jpg

チェリビダッケのショスタコーヴィチはあまりイメージが湧かないが、フランス・ロシア物セットの中に交響曲第1番と第9番という軽めの曲の組合せが収められている。調べてみると実はチェリビダッケはショスタコーヴィチを得意としていたようで、「レニングラード」に至ってはドイツ初演も行っているらしい。「革命」もライブ録音が残っている。

演奏はチェリビダッケらしくテンポはゆっくりである。全体で36分なので標準的な演奏より約1割くらい余計に時間がかかっている。しかし、チェリビダッケの場合、このくらいのテンポだとむしろ「結構速い」と感じてしまう(笑)。

とはいえ、テンポはこの際大した要素ではない。チェリビダッケが指揮するとどちらかと言えば「小品」であるはずのこの曲も壮大な大曲のようである。それはドビュッシーの「海」を聴いた時に感じだものと通じる。なんでもないようなパッセージが意味深な音楽になり、金管のコラールは深遠な告白のような趣で奏でられる。第3楽章以降は特に聞き慣れた曲とは別の曲のような印象を受けた。まさに怪演。

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第1番 : グールド/ゴルシュマン

gouldbeethovenno1.jpg

「皇帝」に続いてグールドのピアノ協奏曲第1番を聴いた。伴奏はゴルシュマン/コロンビア交響楽団。ゴルシュマンという指揮者はあまり名前を聴かないが、当時、60代半ば、ちょうど25年間務めたセントルイス響の音楽監督を退いた頃の共演である。

この演奏に聴くグールドのピアノは実に活き活きとして素晴らしい。コロコロと球が転がるように軽やかに、リズミカルに演奏する。カデンツァはベートーヴェンのものではないと思うが、違和感なく楽しめた。

ストコフスキーの伴奏も悪くなかったが、ゴルシュマン/コロンビア響の伴奏は傑出した出来だと思う。グールドには好きなように弾かせつつ、脇役に徹するだけでなく表現力豊かに全体を支えている。古い録音だが音も良い。これはお薦めの演奏だ。

CEC PH53

しばらく探していたフォノイコライザーが最近、手に入った。CECのPH53という製品である。この53と言う型番はCECが以前ラインナップしていた横幅ハーフサイズのシリーズでアンプ、CD、DACに加えてこのフォノイコライザーが販売されていた。アンプやCDについては他にもたくさん製品があるが、CECのフォノイコというと僕はこのPH53以外、知らない。もともと安価な製品なので現在、中古だと3~4万円くらいが相場。ただし、登場時期がレコード氷河期だったこともあるのかPH53は特に最近、あまり目にしなくなった。

この製品、安価ながら中身は結構凝っていて、バランス入力すると電流増幅型フォノイコとして動作する。(詳しくはメーカーのHPをご覧ください。)加えて、他のCEC製アンプと同様のLEF回路(同左)を搭載していて、要はバランス入力/出力で本来の性能を発揮するということらしい。電流増幅型のフォノイコというと他にも47研究所やデンセンの製品があるがいずれもアンバランス入力前提なので、PH53がなぜバランス入力のみ電流増幅なのかわからないが、とにかくバランス入出力推奨なのでそうすることにした。

TT-3の出力はRCA端子なのでアーム側RCAフォノイコ側XLRのケーブルが必要となる。この形の市販品はほぼ見当たらない。最近、フォノケーブルのバランス接続を推しているフェーズメーションからその形のケーブルが販売されているのを見つけたが、フォノイコより高価(笑)なのであきらめて手元にあったバランスケーブルの片側をRCA化することにした。PH53の取説に従ってXLR側だけシールドを接続し、RCA側は浮かす。別途、アームとフォノイコのグラウンド端子をアース線で繋いだ。フォノイコとアンプが遠いので、サウンドハウスで5mペアで1,200円という一番安いバランスケーブルを購入した。頑丈な造りだし、ケーブルが柔らかくて取り回しも良い。

DSC_9605 (2)

準備万端整ったところでさっそく聴いてみる。一聴して自然で安定感のある音。個人的にそう感じる時は良い知らせである。クリーンで解像感が高く端正な音。これってまさにzyxのカートリッジの音だし、それが中古とはいえ3万円台で実現できるとはなかなか素晴らしい。良いです、このイコライザー。

ほぼ二週間ぶり

3日に更新して以来、ほぼ2週間ぶりの更新になってしまった。ブログ開始以来、最大の間隔が空いてしまった。。別に更新義務があるわけじゃないが、それにしても、である。まあ、4日の京都を皮切りに昨日の青森まで11日間連続、9都府県にわたる出張だったので仕方ない。ちょこっと更新する気力もなかった。。回りからは色々なところに行けて良いねえ、と言われるのだが、悲しいかなプライベートの旅行ではないのでせっかく訪問しても観光はおろか名物料理を食べることも稀である。その土地の主要都市でホテルに宿泊している限り、どこに行ってもあまり変わり映えしない。

と、久しぶりの更新なのに愚痴ってばかりでは良くないので、一つだけ楽しかったことを記そう。昨日は青森県に行ったのだが、午後、一時間ばかり空き時間ができた。ランチには遅いので喫茶店でも行こうということになって、ネットで検索してみるとどうやら近くにジャズ喫茶がある。ということでお邪魔したのがここ。

IMG_0821 (2)

お店の方に許可を取らなかったので店名は伏せるが、ここ数年の間にオープンした割と新しいお店のようである。非常に感じの良いマスターご自身がサックスを吹いてジャズバンドで演奏しているとのこと。入った時にお客さんは我々だけだったが、すでにレコードがかかっていた。

アンプはマッキンのプリ+パワー、スピーカーはJBLの(たぶん)DD66000で、プレーヤーはリン+SME3009S2(カートリッジ不明)であった。リンとImprovedの組合せはかの「ベイシー」と一緒ですねと言ったら、昔、奥様がそちらで働いていたそうである(驚)。なんとも王道と言える組合せであるが、僕はエベレストを聴くのが初めてだったので興味津々。オーディオに興味のない同行者は機材一つ一つの価格を僕に尋ねては答を聞くたび大仰にのけぞっていた(笑)。まあ、確かにざっと見積もって合計で1,000万円は下らないのだから、普通の人には理解しがたいだろう。

肝心の音だが、まずは大迫力である。iPhoneで音圧を測るとスピーカーから4,5メートル離れた場所で常時90㏈後半から100㏈近い。やっぱりマッキンもJBLもこういう使い方をする機器なのだ。解像度がどうとか、奥行きがどうとか言う前にフロア全体を支配することができるかどうか、話はそれからなのである。

大音量の中で無口にコーヒーを飲んでいた同行者が帰り際に「大きな音だけどうるさくないですね。」と言った。同感である。一言で言えばとっても良い音で音楽が鳴っていた。素敵な喫茶店である。丁寧に淹れたコーヒーも美味しかった。

Around the World in a Day : Prince

aroundtheworldinaday.jpg

プリンスの死後、HMVで何枚かアルバムを買った。最新のCDも買ったし、LPが入手可能なものはレコードも買った。プリンス死去のニュースとともに僕と同じように彼のアルバムを買う人が割とたくさんいたと見えて、在庫ありと表示されていたものもバックオーダーになった。早いものは一週間くらい、長期在庫切れになったLP2枚はようやく昨日届いた。

「Around the World in a Day」は1985年、「パープル・レイン」の次にリリースされたアルバムだが、作風はずいぶん異なる。「1999」や「パープル・レイン」のプリンスも良いが、僕はプリンスをリアルタイムに聴いたのが次のアルバムである「Parade」以降なので、そこにつながっていく「Around the World in a Day」はことのほか好きだ。

このアルバムは彼自身のレーベルであるペイズリー・パークからリリースされた最初の一枚。「パープル・レイン」の大成功で自身のレコード会社を作ったプリンスはこのアルバム以降、自分の好きな音楽を好きなように録音できる自由を得たのではなかろうか。

最初のタイトル曲から無国籍感たっぷりで実にクール。その後の曲は一曲ごとに手を変え品を変え、歌の玉手箱状態。ポップな4曲目も良いけど僕はその後の「タンバリン」がかなり好きだ。世界一周だからもちろん「アメリカ」も出てくるが、ひどい歌詞だ(笑)。とにかくアルバム丸ごと最高である。

Soulnote A-1

Focus260を手に入れて、結局、不要になってしまったApogeeのStageを売却するついでに再びオーディオを整理することにした。正確に言えば使ってない機材を物置や押し入れに仕舞う代わりに処分することにしたのだ。。なので今回のオーディオ棚卸は主としてダブった機材の整理だが、合わせてプリアンプ+真空管メインアンプという組合せに替えてSoulnoteのA-1を導入した。

オーディオにのめりこんだきっかけが吉田苑で買ったSharpの1ビットアンプだったこともあって、最初の頃はこのお店が推薦する機材をメインで使ってきた。その反動か、ここ4~5年は違う方向性でいろいろな機材を使ってみたのだが、スピーカーもDynaudioに戻ったことだし、もう一度原点回帰である。さんざんプリとメインを組み合わせて遊んだので、アンプはもうプリメインで十分。NmodeかSoulnoteかLuxmanかとしばし悩んだが、最後はあっけなくSoulnoteに決めた。理由は単純で、まだ発売直後なのにもう展示処分品が出たからである(笑)。おかげで下取り差額なしで手に入った。

Soulnoteはこれまでオーディオ業界では有名な鈴木哲氏がブランドを率いていたわけだが、彼がFundamentaを立ち上げて独立したことで今後は鈴木氏抜きの運営となるようだ。今回購入したA-1はCDプレーヤーのC-1とともにSoulnote10周年記念で発売されているが、雑誌の記事によると鈴木氏の関与はないらしい。とは言え、写真で見る限り、中身の構成は従来のSoulnote製品を踏襲している。マランツプロのアンプやSoulnoteのDAC等過去所有した鈴木氏の作品はいずれも自分の好みだった。その後、いろいろと違う機材が試したくてどれもこれも手放してしまったが、久しぶりに戻ってきた。

A-1、C-1ともに従来のSoulnote製品とは全く異なる意匠の前面パネルであるが、実際手にしてみると違うのは前面パネルだけで、天面と側面は従来同様、鉄板をコの字に折り曲げたものだった。手で叩くとかなり鳴くので不安になるが、実際に使ってみると特に問題ない。デファクトで四隅にプラスチックの脚が付いているが、これに替えてトランスの真下と前方両端に3点スパイクが装着できる。正直、スパイクは取扱いが面倒なので好きではないが、筐体の剛性を考えるとスパイクに履き替えた方が良いだろう。

しばらく通電して気づいたのだが、このアンプ、A級でもないのに結構発熱する。とは言え、真空管アンプのそれとはもちろんレベルが違うので、久しぶりにアンプをラックに収納した。別にアンプをラックに収納したいわけではなく、天板にプレーヤーを置くことが目的である。プレーヤー用の土地が不足しているのである。

DSC_9603 (2)

展示処分だが、どのくらい使用されていたかは不明。経験では汚れたり傷がつきやすいSoulnoteの筐体だが、目を凝らして見ても特に瑕がないことから、それほどエージングされていないと思うのだが、すぐに良い音で鳴った。これが本調子なのかはこれから聴きこんでみないとわからないが、すでに十分満足できるレベルである。

Soulnoteのアンプに共通してスピードが速くリズム感が良い。音色はカラッとして明るい。Dynaudioの音色がどちらかと言えば地味なのでこれくらいでちょうどいい塩梅である。高域特性はすごく良いが、低音の量感が予想より多く、全体として中低音が骨太なイメージ。結果としてまたサブウーファーが不要になりそうである。。定格出力は8Ωで80Wだが4Ωでは120Wとリニアではない。このあたり、ハイエンドアンプのような強力電源は積んでいないのだろうが、実際に定格4ΩのFocusを難なく駆動する。Fundamentalのセパレートはプリ/パワー(ステレオ)で180万円。10分の1の価格のアンプでここまで鳴るのだから、あれはきっと凄いんだろうなあ。

鈴木氏がギタリストであることもあって、Soulnoteはジャズやロックに合うと言われることが多い。ではクラシックはダメかと言うとそんなことはない。大編成の曲でも混濁せず分解能も良好。歯切れの良い音で心地良い。

ベートーヴェン交響曲第2番 : 飯守

飯守ベートーヴェン

ジンマン/ブロンフマンのピアノ協奏曲が今一歩という感じだったので、ジンマンのベートーヴェンと言えば本丸の交響曲を久々に聞き返してみるとやっぱりすごく良い。フルオーケストラがベーレンライター校訂版を演奏するさまは圧巻であった。まるで巨漢なのに凄く身体の切れがいいアスリートかストリートダンサーのようである。

ジンマン/トーンハレの演奏する2番を聴いた後、今度は飯守泰次郎さんが東京シティ・フィルを指揮した演奏を聴いてみた。この演奏も同じくベーレンライター版である。

同じ(はずの)スコアをもとに演奏しているが、この二つの演奏は当然のことながらずいぶん印象が異なる。飯守さんの指揮はジンマンほど快速にオケをドライブしないので、スリリングでドキドキするような展開はジンマンに軍配が上がる。一方、東京シティ・フィルの演奏はとても自然で、いかにも珍しいスコアを使いましたというあざとさをまったく感じさせない。オケもこちらの方が小さいのであろうか、第2楽章なんてとてもチャーミングだ。全体にしなやかで若々しい、楽しい音楽を聞かせてくれる。惜しむらくは録音があまり良くない。弦が対抗配置なのでその掛け合いも楽しみたいのだがいまいち定位も分離も悪い。ちょっと残念である。

ショスタコーヴィチ交響曲第7番 : インバル

インバルレニングラード

「レニングラード」は最近、バーンスタインの指揮でこの曲を久しぶりに聴いて、この曲、こんないい曲だったっけと思ったばかり。考えてみれば、なにせ結構長い曲なので今までじっくり通しで聴いたことが少なかったかも。と思って、今日はインバル/ウィーン響の演奏で聴いてみた。

聴けば聴くほど良い演奏だと思うアルバムはそんなにないが、インバル/ウィーン響のショスタコーヴィチは、僕にとって、そうした例外的な演奏の一つである。熱く濃いバーンスタインのアプローチとは違って冷徹な演奏だが、オーケストラの隅々まで目が行き届いた素晴らしいコントロールである。

インバルの解釈が良さだけでなく、この演奏に聴くウィーン響の音色はショスタコーヴィチに実に合う。派手さのない落ち着いた響きが醸し出す音楽はどこまでも暗く、勝利のフィナーレですら悲壮感が漂う。こういう根暗な演奏も嫌いじゃないなあ。というか、かなり好きである。加えてこのデンオンレーベルはシリーズを通して録音がとても良い。ただし、フィナーレで音がつぶれないようにするためか全体の録音レベルは低めなので少し大きめの音量で聴くほうが良い。
プロフィール

ばけぺん

Author:ばけぺん

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
Since 3/28/2013
検索フォーム
リンク