スピーカーグリル

今日は同僚と栃木にゴルフに行ったのだが、出かける時には晴れていたのに現地はあいにくの雨。天気予報を見ると小一時間で止みそうだったのでスタート時間を一時間繰り下げてもらった。30分経っても雨脚が変わらなくて不安がよぎったが幸いなことにスタートする時間にはほとんど止んだ。10時くらいには完全に止んだが気温はさほど上がらず、結果的にはとても快適なゴルフができた。残念なことにスコアは良くなかったが。。このところ、あと一歩というところまで掴みかけている予感があるのだが、なかなか結果につながらない。う~む。

さて、標題である。D-TK10のようにスピーカーの前面にグリル(サランネット)が付いていないスピーカーであれば迷う必要もないが、グリル付きのスピーカーの場合、皆さん、リスニング時にグリルはどうしているだろうか?付けたままの人、几帳面に聴く時だけ外す人、完全に外してしまう人、それぞれどのくらいの割合なのだろう。(中には聴く時だけ付けるという人もいるのだろうか?)

僕は今まで、着脱可能なグリルは常に外して聴いていた。ずいぶん前に「グリルは外した方が音が良い」とどこかで読んだ記事を鵜呑みにしていたし、実際、例えばディナウディオのマニュアルには「グリルの音響特性は最適化しているもののグリルなしが最も音が良い」と明記されているので、素直に従っていたのである。

唯一の例外として、甥が遊びに来た時はグリルを付けて聴いていた。ディナウディオのトゥイーターはぷっくりと飛び出ている。それを「えい!」とか言ってチョップされた日には目も当てられない。スピーカーを壊されるのも嫌だが、それでカッとなって2歳の子を叱るのはもっと嫌である。というわけで、しばらくグリル付きで聴いていたのだが、これが意外と悪くない、と思ったのだ。しかし、そう思ったものの余計な知識が感性の邪魔をして甥が帰るとともにグリルなしに戻してしまったのである。

前回、吸音材を壁に立てかけたら音が良くなったと書いた。その時はただ壁に立てかけていたのだが、家にちょうどいい長さの虫ピンがあったので、中心が1mくらいの高さになるように持ち上げて壁に貼ったらなお良くなった。これに気を良くして次に試したのがグリルの装着。実はこれが一番のビンゴであった。

何が変わるかと言うと中高音域がわかりやすく変わるのだが、低音域とのバランスが良くなって音像が引き締まる。同時にステージが全体的に後方に下がって奥行きが感じやすくなる。気のせいかと思って何回も付けたり外したりしてみたが、今回の変化は間違いなさそうである。マイクで測定をすれば中高音域は痩せているかもしれないが、聴感上は特に寂しいこともない。こんな簡単なことなんでもっと早く試さなかったか、である。
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吸音材

昨日までゲストが来ていて忙しかったのだが、バタバタも終わった今日は早く帰ってこれた。週の真ん中水曜日に早く帰ってこれると楽である。明日明後日頑張れば週末もやってくる。よし頑張ろう!ということで元気が出たので、先週末から玄関に放置していたやたら大きな箱を開けることにした。

完全な新品であればそんなことはないのだが、なんらかの事情で外箱開封済みのものを買ったところ、サイズがちょうど良かったのだろう、4Kテレビの箱に包まれてそれは到着していた。荷物を受け取った家人は「4Kテレビが我が家に!」と舞い上がったようだが、残念、中身は「ホワイトキューオン」という吸音材である。開梱して中身が明らかになったところで失笑。

これまで吸音材と言うのは音を殺してしまいそうな気がして手を出さなかったのだが、90㎝四方2枚組のものが未開封新品で格安だったのでモノは試しに導入。向かって右側のスピーカーの後ろはCDラック、一次反射面は出窓でカーテンと音を吸いそうなものがある一方、左側には何もないので、そちら側の壁に二枚とも立てかけた。部屋の隅からレコードラックまで約2mなので、その大半が下から90㎝、吸音材で覆われることになる。

これ、我が家ではヤマハの調音パネルを一枚置く以上に効果があった。ホワイトキューオンが吸音するのはほぼ1kHz以上の中高音部分なので上がさみしくなるかと思いきや、そんなことはなく、今まで時たま高音がキンキンとすると感じたソフトも聴きやすくなった。一番の違いはオーケストラを聴いている時のヴァイオリンの定位で、第一ヴァイオリンが正しく左側に定位する。今まで右側に比べて左側のステレオ感が不足して、ヴァイオリンが中央に寄りがちだったのが、修正された。壁からの反射音と相殺される分量が減ったのだろうか?

今のところ副作用は感じないので、しばらくこのまま行こうと思う。

バッハ ブランデンブルク協奏曲 : クレンペラー

クレンペラーブランデンブルク

クレンペラー/フィルハーモニア管によるブランデンブルク協奏曲は「Vinyl Passion Classic」レーベルのLP。以前も一度買い物をしたことがあるが、この「Vinyl Passion」レーベル、ネットで検索してもこのレーベルで発売されているアルバムの情報以外、確たる情報が何も出てこない。かろうじてわかるのはこのレーベルがオランダの会社であることくらい。ジャケットに大々的に「DMM Cutting」とあるが、肝心のマスターがなんであるかは謎である。オリジナルマスターテープはEMIないしはワーナーが保有しているだろうから、それを使っていればどこかにその旨記述があるだろう。となると、市販されたCDがマスター代わりであろうか?

デジタル録音時代になって以来、オリジナルマスターにも超高音域は存在しないはず。それをアナログ化してもないものはないので、よく言われる「レコードにはCDにはない超高音域成分が云々」と言う話はどうなのだろう?LPのカッティングはアナログ領域で行われるのでDACが介在するし、RIAAカーブでイコライジングするので、こうした作業を経由してデジタルマスターと微妙に違う音源になるのかもしれないが、デジタル録音が普通になって以降のアナログレコードと言うのはメディアとして中途半端なのは否めない気がする。ましてや市販されたCDをマスター音源にしてLPを作ることに金儲け以外の意味はあるのだろうか?

なんて疑問を持ちつつもクレンペラーのバッハが聴いてみたくてついつい買ってしまったLPなのだが、聴き始めて出てくる音は本当に不思議なことにまさにレコードの音なのである(笑)。録音年代の割にヒスノイズがぜんぜん聞こえないのでアナログマスターではなく、やはりノイズ処理されたデジタル音源だと思うのだが、もしかしてデジタル領域でそれらしくイコライジングしているのだろうか、それともターンテーブルに乗せて針で音を拾ってフォノイコを通して聴けばこういう音になっちゃうんだろうか。CDはどう聞こえるのか、検証したくなってきた。

演奏は素朴で響きが懐かしい。フルオーケストラのブランデンブルク協奏曲は良いな。クレンペラーらしく、アクセクせずに落ち着いたテンポで進むところも好ましい。とても良い演奏である。

ショスタコーヴィチ交響曲第4番 : キタエンコ

ショスタコキタエンコ

今日は職場のゴルフコンペ。今週から週末は4連続でゴルフである。寒い間はゴルフをしない連中も含めてゴルフシーズン到来ということだと思うが、今日は良い季節を通り越してすでにかなり暑かった。半袖半ズボンで回ってるので日焼け対策が欠かせない。一昔前まで日焼け止めなんて女性のものと思っていたが、今は自分も厚塗りしている。そういう人が多いので最近のゴルフ場はバカ殿だらけである(笑)。

さて、家に帰るとHMVから荷物が届いていて、その中の一つ、キタエンコ/ケルン・ギュルツェニヒ管のショスタコーヴィチ交響曲全集を聴いてみた。最初に聴いたのは第4番。ケルン・ギュルツェニヒ管なんていうオーケストラ、ついぞ知らなかったが、調べてみれば1827年創設、歴代指揮者にはヴァントやヤノフスキが名を連ねる、どうやらとても由緒正しいオーケストラであった。キタエンコは常任ではないが、長い付き合いで名誉指揮者になっているという。

演奏より先にアルバムのことを書いてしまうと、この全集、SACDハイブリッド12枚で実売5,000円台で売られている。我が家ではCDレイヤーしか聴けないが、SACD層はサラウンドも完備。ハイティンクの15番(RCOライブ)の時も思ったのだが、SACDステレオ層はともかくサラウンド層は聴いてみたいなあ。しかし、実際に機材をセッティングするとなると、とてつもなく面倒くさいのである。最近はマルチ出力を備えたプレーヤーも少ないし、だいたい5本スピーカーを立てるのがなぁ。。

と、ついつい考えてしまうほど、演奏は良かった。この全集、ライブ演奏とスタジオ録音のミックスで4番はライブ録音なのだが、おそらくアルバム制作過程で編集されていることもあってか、細部までバランスの良い丁寧な演奏で好感が持てる。テンポは少し遅めだが、間延びしたところはなく、一つ一つのフレージングも表情豊かで飽きさせない。オケの音で言うと弦の音が良い。艶やかでなくどちらかと言うと乾いた音色だが、力の漲った良い音だ。全体に曖昧なところがなく、とても明確な演奏である。最初から最後まで基本のテンポはやや遅めだが、終楽章フィナーレ直前のコラールだけは快速。鮮やかに駆け抜けてまたテンポを落として神秘的にフィナーレを迎える。良い演奏である。

ショスタコーヴィチ交響曲第10番 : ドホナーニ

ドホナーニショスタコ

最近、ずーっと喉が痛い。と言っても扁桃腺が腫れているわけではなく、喉と鼻とがつながっている当たり、それも右側だけが炎症を起こしている。炎症があるもんだから痛いし、気になる。そのうえ、熱っぽい感じもする。全身が熱を持っているわけでもないのだが、寒気もする。とにかく不快である。耳鼻科で診てもらっても大きな問題は見つからず。一週間分抗生物質を処方されたのだが、飲み切っても完全とは言い難い。鼻水も出るし、目も痒い。どちらかと言うと花粉症のような症状だが、アレルギーテストの結果は陰性。う~ん、なにこれ?ちなみに今日は朝からちっとも痛くない。このまま治ることを祈りたい。

さて、今日もまたショスタコなのだが、曲は変わって久しぶりの10番。たしかドホナーニのショスタコーヴィチはライブ録音以外にはこれしかないはず。90年の録音。ドホナーニがたくさん録音を行っていた頃のアルバムだが、初発以来長くお蔵入りしていた。タワーレコード限定で20年ぶりの再発である。タワーレコード、良い所に目を付けるなぁ。

10番しか録音していないのだからドホナーニにとってショスタコーヴィチは得意のレパートリーとは言い難い。この録音を後押ししたのはマーケティングだったのか、それとも10番に特別な思い入れがあるのか。どちらにしても初発から数年で消えた以上、売れ行きは芳しくなかったと思われる。

ドホナーニが好きでない人にとってはドホナーニのショスタコーヴィチなんて。。であろう。しかし、ドホナーニが好きでない人にとっては、ドホナーニのマーラーなんて。。であり、ドホナーニのブルックナーなんて。。なのである。要は彼のスタイルが好きかどうかでこの演奏も評価も決まると思う。僕はもちろん大好きだ。だからこそこのCDを買ったのだ。

仰々しいところがなく、比較的すっきりした造形で少し速めのテンポ。クリーブランド管の音色は暴力的ないしは陰性ショスタコーヴィチを求めるには明るすぎると感じるが、ドホナーニには合っている。全体に筋肉質でストレートな表現である。変な思い入れがない分、曲の良さが引き立つ。各楽器がきちんと自分の役目をわきまえて自己主張を控える中、打楽器のスパイスが効いている。こういうショスタコーヴィチも良いなと思うのだが、たぶんにえこひいきがあるかもしれない。

ブルックナー交響曲第5番 : ケーゲル

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ケーゲル/ライプチヒ放送響によるブルックナーの交響曲第5番のCDが未開封で在庫処分になっていたので購入した。ケーゲルは1990年のドイツ統一後にピストル自殺したのだが、そういう指揮者のCDにこのジャケット写真はどうなのかと思う。僕には遺体のマーキングにしか見えないのだが、本来、どういう意図なのだろうか?

演奏は77年のライブ録音。あちこちで観衆の気配が感じられるが、演奏の邪魔になるほどではない。ブルックナーの5番の演奏としては相当快速の部類に入る。加えて金管楽器、打楽器のウェイトが高く、全体として強靭な印象を与える演奏である。弦楽器が劣る訳でも緩徐楽章が物足りない訳でもないが、管楽器と打楽器の圧があまりにも強く、目立たない。

ライブ録音だけに演奏の瑕と言うか、縦のラインが揃わないところは散見される。それもあって初めのうちはやたらと金管が目立って急いた演奏だなくらいしか感じなかった。実際、途中までは「レコ芸」を読みながらBGM的に聴いていたのだが、この演奏、聴き進めるうちにどんどん引き込まれる。特に終楽章は凄い。相変わらずテンポは速く、ヴァントや朝比奈さん、チェリビダッケのように伽藍を構築するような感じではなく、とにかくどんどん前に突き進んでいく感じ。その勢いと金管の圧が相まって、これはこれで並び立つものがないパワーである。実際の演奏会場でもこのバランスで音楽が聴こえたら、きっと呆気に取られ、そして感動するだろう。最後の方は金管とともにティンパニが大活躍でメロディを隈取りしながらリズムを刻む。この部分は明らかにスコアを改変していると思うし、下品と言えば下品なのだが、すこぶる効果的であるのも事実。面白い演奏だ。

満足してCDラックに仕舞おうとして絶句。このCD、すでに持っていた(笑)。ちゃんと開封して聴いた後があるのにまったく記憶にない。聴く装置を選ぶのか、いや、聴く側の態度の問題か。とにかくレコード一枚を買うのが大変だった時代の人が聞いたら怒ること必至の失態である。反省。

レコ芸創刊800号

レコ芸800

レコード芸術は最近、気付いた時に買うくらいである。肝心のレコードに新譜が少ないのでだんだん読む機会が減っている。そんな中、「創刊800号」という見出しに惹かれて5月号を買ってみた。

帰宅してから気付いたのだが、5月号には「レコ芸」創刊号(昭和27年3月号)の完全コピー版が付録でついていた。中身は記事だけでなく広告まで実に丁寧にコピーされていて、広告を眺めているだけでも世相が偲ばれて興味深い。

記事を読むとそこらじゅうに戦争の傷跡を感じる。直前に迫っていたとはいえ、まだ主権回復前なのだ。LP登場直後でレコードと言えばほぼSPの話。評論する側が早くLPを聴きたい、LPのかかるプレーヤーが欲しいという状態である。広告に載っている一番安いプレーヤーが28,500円~となっている。大卒の初任給が6,000円~8,000円くらいのようなのでやはり相当高額である。同じ広告にLPレコード一枚2,300円とある。レコード一枚の価格が戦後を通じてほとんど変わっていないのも驚き。卵もびっくりの物価優等生だったのか。

そういう周辺部分の話だけでも面白いが、記事そのものはもっと面白い。評論家同士の座談会だったり、レコード会社を交えての座談会だったり、どこを読んでも来るべきレコード普及時代に対する希望と期待が感じられる。非常に面白い読み物だった。

ストラヴィンスキー「春の祭典」 : ドラティ

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個人的に思い入れの強い一枚であるドラティ/デトロイト響の「春の祭典」。このレコード、まだ新譜だった高校生時代に長い間小遣いをためて買ったことがある。そのレコードのジャケットも残っている。なのに中身がなぜかデイヴィス/コンセルトヘボウの「春の祭典」(笑)。きっとデイヴィス盤にドラティの演奏が入っていると思うのだが、そちらは見つからない。

月曜日に行ったディスクユニオンで見つけたのがこのアルバム。1990年、「London Final LP series」と銘打った企画の中の一枚。一応、オリジナルのライナーノーツのコピーも入っているが、ジャケット裏面の解説はこの企画の話一辺倒である。消えゆくレコードを愛する担当者の熱い思いをひしひしと感じる。

その話の中でLPの収録時間が語られているが、それによるとLP片面の本来の収録時間は18分だそうだ。両面いっぱいで36分。その後、収録レベルの小さいところの溝幅を圧縮することでもっと長い時間を片面に収めるようになり、だんだん長時間録音が増えたらしい。そういう意味では「春の祭典」一曲ならばオリジナルの規格に余裕で収まる。

久しぶりに聴いたが、やはりこの「春の祭典」は稀代の名演である。整然と完璧にこの曲を演奏している。鳴るべきところで鳴るべき楽器がきちんと鳴る。当たり前のようだが、この録音以前にそれができた演奏はほとんどないと思う。アタックにあいまいなところがない。だから聴いてて気持ち良い。録音も優秀で、最高音から最低音まで、最弱音から最強音まで混濁もなくすっきりとした音が聴ける。昔持っていたレコードと聞き比べられないのが残念だが、Finalの思いが籠もったカッティングも効いているに違いない。

YAMAHA MCー1X

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また古いカートリッジを導入。今回手に入れたのはヤマハのMCー1X。ネット上の情報によれば1978年頃の発売とある。それを考えると非常に丁寧に扱われた個体だと思う。針先もきれいだった。

ベリリウムカンチレバーは初めての体験。空芯型で30Ω、0.2V。とにかく軽い振動系を達成することと引き換えに発電力は小さい。MC-1Xはシェル一体型。アルミハウジングということだが、重さは18g強と比較的軽い。

スペックを考えるとトランスで昇圧するより直接フォノイコに繋ぐ方が良いかなと思ってiPhono2で音出し。40年前の製品とは思えないほどすっきりとした鮮度の高い音である。上から下まですーっとレンジの広い音がするが、チャンネルセパレーションがそこそこな感じなところがかえってアナログライクな音で良い。なんにせよ、記念すべきヤマハのMCカートリッジ第1号機なので、大切に使っていこう。

ヴォーン=ウィリアムズ「海の交響曲」 : スラットキン

スラットキンRVM

ヴォーン=ウィリアムズの交響曲もLPで揃えようと思っているのだが、なかなか中古レコードを発見できない。このままではいつになったら全部の交響曲を聴けるかわからないので、とりあえずまずは一通りCDで聴いてみようと思って手に入れたのがスラットキン/フィルハーモニア管による交響曲全集。6枚組で2,000円と格安。一枚当たりコーヒー一杯と言うのは安すぎはしないだろうか?

前知識がゼロの状態で一枚目の「海の交響曲」を聴き始めたところ、ボリューム設定を誤って爆音に驚いた。なるほど、これは合唱付きの斉奏で始まる曲であったか。交響曲と言うよりオラトリオみたいな感じである。はてどういうことを歌っているのかと思うのだが、そこは格安ボックスセットだけあってブックレットが入っていない。歌詞も解説もなし。ま、逆に純粋に音楽が楽しめる。

生まれて初めて聴いたが、荘厳でいて心穏やかになれる曲だなと言うのが聴き終えた感想。ごくごく限られた経験での感想に過ぎないが、イギリスのクラシック音楽と言うのは独墺に比べて地味だが、エルガーしかりブリテンしかり、なんと言うか格調が高くて品が良い。考えてみると、これってイギリスのオーディオ機器にも通じるものがある。お国柄なんだろうか。

ショスタコーヴィチ交響曲第15番 : ヤンソンス

ヤンソンスショスタコ

連休明けに仕事に行くのは憂鬱だが、行ってしまえば職場の同僚と話をしたり食事に行ったりと意外と楽しいことも多い。とはいえ、やっぱり休みぼけしているのか疲れるのも速い(笑)。幸い、今日はそれほどスケジュールが密でなかったので、割と早く退社することができた。せっかくなので少々歩いて実に久しぶりに神保町のディスクユニオンに寄った。ちょうどセール中で店内は混んでいたが、何枚か良い買い物ができた。

その中の一つがヤンソンスのショスタコーヴィチ交響曲全集。現役盤のボックスセットは7,000円超え。今日、見つけたのはかつて販売されていた廉価版ボックスの中古。これならという価格だったので早速ゲット。「レニングラード」だけは重なってしまうが、止むをえまい。と言うか、「レニングラード」一枚の値段とさほど変わらないという事実。。

15番を最初に聴こうと思ったわけではなかったのだが、1枚目のCDが1番/15番の組合せだったので、結局、15番を聴いた(笑)。ヤンソンスのショスタコーヴィチ全集は全部で8つのオーケストラと録音した、クーベリックのベートーヴェン全集並みの企画であるが、後者と違って曲調にあわせてオケを選んだというわけではなさそう。オスロフィルを除けば世界の有名どころが並んでいる。コンセルトヘボウとバイエルン放送響の常任を兼務したり、この人の世界を股にかけた活躍はやはり普通ではない。しかし、以前も書いたのだが、自分にはヤンソンスの演奏について明確なイメージがない。捉えどころがない指揮者の一人である。だからこそいろんな国のいろんなオケと協働できるのかもしれないが。実際に聴くまでどんな演奏をしそうか見当がつかないのである。

15番の演奏は存外に良かった。いや、これはかなり良かった。(無意識に期待値を下げていたかもしれないが。)何が良いかと言うとまずはオケの音色が良い。暖色系で温かいが仄暗い、晩秋から初冬の夕方みたいな音色がこの曲にすごく合っている。さっきはああ言ったがもしかして曲調でオケを選んだのだろうか?

ヤンソンスの終楽章のテンポは中庸から少しだけ速め。「ボン・ボン・ボ・ボン」の部分は影となるティンパニが他の演奏では聴かない(聴こえない?)特徴的なドラムロールとともに付き添う。不穏な雰囲気を醸し出して効果的である。大団円の部分も管楽器に思い切って強奏させ断末魔のような響きをよく表現しているし、頂点ではドラムの隈取りが鮮やかである。思わず終楽章を二回続けて聴いてしまった。BPOと演奏した組合せの1番も良い演奏だったし、他の曲にも期待できそうである。

Sketches of Spain : マイルス・デイヴィス

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忘れた頃にやってくるディアゴスティーニ。今日も二枚のアルバムが届いた。これが16枚目、17枚目である。今回届いたのはマイルス・デイヴィスの「Sketches of Spain」。このアルバムはたぶん10年前くらいにCDで買って、演奏が素晴らしいだけでなく録音が凄く鮮明なので、以来、お気に入りの一枚である。LPを聴くのは初めて。

ライナーノーツを読むとギル・エヴァンスの完璧主義にマイルスは時に悩まされたようだが、ギル・エヴァンスの編曲は「アランフェス協奏曲」以外も異国情緒に溢れてすごく良い雰囲気を醸し出している。その伴奏の上に即興でソロを吹くと言うのも大変なことだと思うが、マイルスのトランペットもめちゃめちゃ良い。個人的には「アランフェス」以上に「Will O' the Wisp」「SAETA」「SOLEA」が好み。

CDの音も良かったが、LPはそれ以上に鮮烈な音がする。ダイレクト感が強く音が前に出てくる。ディアゴスティーニのシリーズの中でもリマスタリングとカッティングがうまくいった一枚ではなかろうか。

ショスタコーヴィチ交響曲第5番 : デュトワ

デュトワ革命

あんまり15番ばかり聴いててさすがに疲れてきたので別の曲を聴いてみることにした。相変わらずショスタコーヴィチだが(笑)。デュトワ/モントリオール響のショスタコーヴィチは先日の1番/15番とこの5番/9番しかないようだ。本人は13番を録音したかったようだしN響との実演では4番も良かったらしいので、そのうち他の曲も録音してくれると嬉しい。

1番/15番の演奏を聴いて「革命」もクールで洒落た演奏を予想したのだが、予想は間違いではなかったものの、それに加えて思いのほか力感溢れる快演だった。と言って、ロシア的暴力的な演奏とははっきり一線を画す。オーケストラの隅々までコントロールの行き届いた非常に整った演奏である。1楽章終盤の盛り上がりや2楽章はいつもより重量感を感じるオケがとても良いし、3楽章では弦楽器が非常に美しい。個人的に残念なのはテンポの上がらない終楽章だが、スコアの問題もあるので仕方がない。

9番はこのコンビにいかにも合いそうな曲で実際に軽妙洒脱な佳演である。色彩感豊かでカラフル。この曲にシニカルな何かを求める人には向かないが、なかなか楽しい演奏である。録音は1番/15番と同タイミングだが、こちらの方が音が華やかに聴こえる。国内盤なのでリマスタリングされているのかもしれない。

ショスタコーヴィチ交響曲第15番 : ショルティ

ショルティショスタコ選集

ショルティがショスタコーヴィチの録音を始めたのは80年代の終わり。それ以降、ライブでも積極的に取り組んでいたようだが、結局、全集を録音するには至らず亡くなってしまった。タワーレコード限定の交響曲集には1、5、8、9、10、13、15番の7曲が収録されている。15番は97年3月、ショルティ84歳、死の半年前の録音である。

ショルティとザンデルリンクは同い年なので、録音時ショルティは、BPOを振った時のザンデルリンクとさして変わらない年齢であったわけだが、演奏を聴く限り衰えとは無縁である。ショルティらしい、筋肉質で引き締まった快速な演奏だ。全曲で40分強なので、ザンデルリンク/クリーブランド管の演奏より2割近く短く、相当速いムラヴィンスキーとほぼ同じくらいのテンポである。

僕はショルティ/シカゴ響の演奏が大好きなのでとりわけそう感じるのかもしれないが、まずはショルティの正確無比なアプローチとシカゴ響の技術・パワーに脱帽である。ナイーブで美しい最弱音から金管が暴力的に咆哮する最強音まで一切破たんがないし、とにかく細部まできちんとしている。例えば、打楽器の連打一つとってもちゃんと拍を刻んでいる。選集にはライブ録音も含まれるが、オケの各部がシンクロするのが難しい15番がスタジオ録音だったのは正解だと思う。

終楽章は弦楽器による主旋律が聴感上、ザンデルリンクの倍速くらいで進む(笑)。と言って、急ぎ過ぎという感じはない。テンポは急だがフレージングは丁寧でメリハリがしっかりしている。「ボン・ボン・ボ・ボンボン」以降も容赦なくグイグイ進んでいくが、大団円に向けて音楽が大きくなるにつれてリタルダンドし、一転してスローなテンポで頂点を迎える。再現部では再度ペースが上がり、そのままフィナーレを迎える。

録音は非常にクリア。特にこの曲の大切な要素であるたくさんの打楽器の音が鮮明に捉えられていて効果的。この演奏、自分的にはたいそう気に入った。

ショスタコーヴィチ交響曲第15番 : インバル

インバルショスタコ15

次なるショスタコ15番はインバル/ウィーン響の演奏。デュトワ/モントリオール響と同じ組合せにして半年遅れの録音。これ以外にもパッと思いつくものでゲルギエフ/マリンスキー、カエターニ/ミラノが同じ組合せ。このあたりCD販売戦略上、やはり競争があるのだろう。どれがどれだけ売れているのか統計があると面白いのに。

インバル/ウィーン響のCDはいつの間にかずいぶん手元に増えた。こうなるとわかっていれば最初から全集を求めればよかったと思うもののもはや手遅れ。あと5枚、中古を探すことにしよう。今のところインバル/ウィーン響のショスタコーヴィチにがっかりしたことはない。インバルの指揮に加え、重心が低めで金管の響きも品良く捉えたデノン(コロムビア)の録音が実に良いのだ。録音データを見る限り日本人チームによるものだが、良い仕事をしていると思う。

15番の演奏もほの暗い曲想を余すところなく表現していると思うし、ここぞと言う盛り上がりも悪くない。が、しかし、ザンデルリンク/BPOを聴いてしまうとこういうユニバーサルな演奏は分が悪い。この曲の記録として博物館に収めるならインバルを取るが、演奏に感銘を受けるのはザンデルリンクの方である。聴く順番が悪かったかな。

録音について付言すると、デッカとは違った形で非常に鮮明な音だが、ダイナミックレンジが広くて全体的に録音レベルが低い。大き目のボリュームで聴く方が良い。

チャイコフスキー交響曲全集 : スヴェトラーノフ

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今日はこどもの日。長かったはずのGWもあと二日で終わりである。悲しい事実。悲しいからGWはなかったことにして、ようやく週末が来たと思うことにした(笑)。

閑話休題。こどもの日で思うのだが、最近、めっきり鯉のぼりを目にしなくなった。僕が子どもの頃、ここらへんのような郊外の住宅地にはあちこちの家の庭で鯉のぼりが泳いでいたものだ。家のサイズがまちまちなように鯉のぼりのサイズもまちまちだったが、それでも当たり前のように色とりどりの鯉のぼりが青空をバックに泳いでいた。今やそうした景色は絶滅寸前である。このGW中、僕が目にした鯉のぼりはたった一つだけ。それはここよりさらに郊外の大きな家に雄大に存在していたが、それきりである。少子化に加えてこの辺りは若者の流出が激しいに違いない。将来がかなり心配である。

今日はゴルフに行ったのだが、朝から晴れて風もなく最高のゴルフ日和だった。残念ながら、前回の好調がうそのように今日のスコアはぜんぜんダメだった。とにかくドライバーの調子が悪くて前半はチョロばかり。飛べばスコアが良いとは限らないが、ここまで飛ばないと二打目以降が難しくなってやはりスコアにならない。ランチ休憩後は前半がなんだったのかという感じでドライバーは戻ったのだが時すでに遅し。空いててスイスイだった前半に比べ、後半はホール間も詰まり気味でそれも良くなかった。とはいえ、こう調子の波が激しいこと自体が問題なんだよなぁ。いつまで経っても進歩なし。。

さて、最近、久しぶりにCDを買っている。HMVがクーポン還元セール中だったので中古CDを結構な量、まとめ買いした。昨日のショスタコもそうだったが、今日はスヴェトラーノフ/ソ連国立交響楽団のチャイコフスキー交響曲全集である。このCDボックスは写真のように2枚入りハードケース3組がボックスに入っているが、このボックスがキャラメルの箱みたいで開けにくいことこの上ない(笑)。蓋を開ける時に紙を破らないよう細心の注意が必要である。

この全集、「冬の日の幻想」の演奏にいたく感動してLPで揃えようと思ったのだが、一向に中古LPを見つけられなかった。一方、この中古CDボックスは交響曲全7曲にいくつかの管弦楽曲が入って6枚組で2,000円である。一枚1,000円前後はする中古レコードは価格では勝負にならない。では音はどうかと言うと、リマスタリングの出来が良く、ノイズレベルは低いしバランスも自然。まだ全部聴いていないが、まったく不満のないレベル。でも、きちんと文章で説明できないが、レコードとは何かが違うのも事実。一言で言えばCDの音の方が乾いている。ただし、これはあくまで我が家で再生した場合の話。再生機材が違う以上、比較は不可能である。いずれにしてもスヴェトラーノフの芸術を堪能する上では両者の違いは問題にならない。こう考えると現代におけるアナログ再生って本当にオーディオ趣味的な話だと思う。

ショスタコーヴィチ交響曲第15番 : ザンデルリンク (BPO)

ザンデルリンクショスタコBPO

ザンデルリンク/BPOのライブは99年の録音だからザンデルリンクはすでに86歳とかなり高齢である。それでなくても圧倒的にスローテンポでこの曲を振るザンデルリンクだけにいよいよ一時間超えか(笑)、と思ったら、実はこの演奏が3種の中でもっとも演奏時間が短い。ライブで気合が入るとテンポが上がるのか、それとも打ち合わせ時間が短くてBPOが言うことを聞かなかったか。

なんてことを考えながら聴き始めたのだがこの演奏にはとても感心した。いやあ、ザンデルリンクってやっぱり良いね。

ベルリンフィルの自主製作盤でもともとデジタルライブ放送用の録音だと思うのだが、収録日が一日だし、客演なので一発収録なのだろう。緻密な練習ができないせいか演奏が危ういところは何か所もある。が、それがどうしたという説得力。

終楽章、例の「ボン・ボン・ボ・ボンボン」はこれ以上小さい音は無理という感じで始まる。次第に盛り上がるが、クレッシェンドはなめらかでなく、テンポの遅さにホルンは迷走しかかる。破綻一歩手前で弦が勇み足的に飛び込んでくる。そのまま音楽は熱を帯びて大団円に突入するが、頂点のシンバルのジャーンもタクトを待ちきれない感じ。こう書くとひどい演奏みたいだが、実際はカオス寸前の音楽の奔流の勢いがすごい。まったく反対側に存在するようなデュトワの演奏を聴いたばかりなのでなおさらそう感じるのかもしれないが、演奏の完成度と音楽の説得力は必ずしも比例しないものなのだと思う。とても良い演奏である。

ショスタコーヴィチ交響曲第15番 : デュトワ

デュトワショスタコ15番

今日からGWという方も多いのだろう。今日はゴルフに行ったのだが、朝一番から高速は大渋滞だった。幸いゴルフ場がさほど遠くないところだったので下道を使った僕は渋滞にかからなかったが、高速入口の掲示板には渋滞40㎞と記されていた。大渋滞の中帰省された皆さん、本当にお疲れさまです。お盆、年末年始もそうだが、GWもゴルフ場は空いている。決してガラガラではないが、家族サービスの対象となるスポーツではない(というか、家族サービスの敵に近い)だけに、この期間、ゴルフをする人は通常の土日以下のようだ。おかげでお休みなのに詰め込みもなく、価格も比較的リーゾナブル。気候も穏やかとゴルフには最適。平日ゴルフが叶わない身にはありがたい。落ち着いてプレイできたおかげかスコアも良かった。

さて、ここのところ絶大な興味を持って聴いているショスタコーヴィチの15番だが、その気で探してみるとこの曲はたくさんの指揮者/オーケストラの録音が存在する。そう言えばデュトワ/モントリオール響の「革命」を目にしたことがあったが、このコンビの最初のショスタコーヴィチ録音がこの1番/15番という初めと終わりの組合せとは知らなかった。面白いのはデュトワはこの組合せの録音がそれまで存在しないことを知っていて、あえてこのカップリングを最初のショスタコーヴィチ録音に選んだということである。インタビューで「それが上手く行けば次は13番」と言っていたのだが、それは実現せず5番と9番という定番の録音が残った。察するに商業的な計算が念頭にあったのだろうか。13番が出なかったということは1番と15番が商業的に「上手く」行かなかったのかもしれない(笑)。わずか半年後にインバル/ウィーン響が同じ組み合わせの録音を出したことも計算外だったかも。

まあ、そんな邪推はともかくとして、CDを聴いてみるとこの演奏/録音は実に出来が良い。1番も15番も共通して、ショスタコーヴィチ、あるいは、旧ソ連のイデアも政治的思惑も隠されたメッセージもそんなことまったく関係なし。二つの曲を純粋音楽的に演奏すればこういう演奏になる。と言った印象を受けた。

鮮明な録音で知られるデッカのデジタル録音群の中でも音の良さで売るデュトワ/モントリオール響の録音なので、最弱音から最強音まで過不足なく音が収録されている。演奏も相当ダイナミックレンジが広く、15番冒頭のグロッケンシュピールの音でボリュームを合わせると最強音部分では隣の部屋を気にせずにはいられないような音量になる。打楽器の打ち込みも音を割った金管の咆哮もあるのだが、驚くほど感情的高揚感がない。冷静冷徹である。クール。見方を変えれば洗練されてお洒落でエレガントだ。「集中治療室で治療される末期患者の点滴の音に聞こえないか?」とザンデルリンクに問われたらデュトワは即座に「聞こえない」と答えるだろう(笑)。とにかく演奏は完璧。録音もすごく良い。これはこれで聴く価値のある演奏だと思う。

ブルックナー交響曲第9番 : バーンスタイン

バーンスタイン

バーンスタイン/NYPのThe Symphony Editionは60枚組のCDボックスで、ベートーヴェン、ブラームス、マーラー、シューマン、シベリウス、チャイコフスキーについては交響曲全曲が収められているのだが、ブルックナーはぽつんと交響曲第9番があるのみ。こうなると、むしろ9番だけ録音が残ったのが不思議なくらいだが、晩年、DGでも9番を再録しているので、バーンスタインにとってこの曲はお気に入りの存在だったのだろう。

この曲に限らずブルックナーの場合、ヨッフムのアッチェレランドのような直線的な加速は例外として、基本的には曲の大きさに任せて大きくテンポを揺らしたりといった小手先の演出をしない演奏の方が成功している例が多いと思う。ヴァントしかり、朝比奈さんしかり、カラヤンだってオケは盛大に鳴らすが例えばチャイコフスキーを演奏する時のような演出は少ない。

比較してバーンスタインの演奏は相当主観的である。情緒的な部分は感情移入が凄い。一言で言えば「クセがすごい」(笑)。この曲の録音を全部聴いたわけではもちろんないが、ここまでテンポの揺れる第一楽章は記憶にない。マーラーみたいなブルックナーである。これはブルックナーの音楽に宇宙の鳴動や人智を超えた何かを感じる人にはまったく向かない演奏だと思う。徹底的に俗っぽい、人間の作る音楽である。

第二楽章は一転して頑固なまでにインテンポである。スケルツオの主部は遅めで重厚、トリオは急速に展開するが、それぞれのテンポはいじらず毅然と終わる。面白い。

第三楽章は曲想がマーラーの9番の終楽章みたいなので、そもそもバーンスタインの芸風に合うのかも。ここまでの楽章と比べて違和感もサプライズもなく美しくも哀しい音楽が奏でられる。

録音は抜けがイマイチでここぞという時の重さもないが、演奏を楽しむには十分なレベル。思った以上に楽しめる演奏だった。

アイヴズ交響曲第2番 : バーンスタイン

バーンスタインアイヴズ

アイヴズの交響曲第4番はストコフスキーが全曲初演者だったが、交響曲第2番の初演者はバーンスタイン。1951年にこの曲を初演した時、アイヴズはコンサートに招待されていたものの参加せず、ラジオで聴いたという。この演奏が録音されたのは58年。バーンスタインはほぼ30年後、DGにもこの曲を再録しているので、やはり思い入れのある曲なのだろう。

最初に聴いた時からたいそう親しみやすいチャーミングな曲という印象だったが、バーンスタインの演奏はさらにフレンドリーで温かい。録音が古いせいもあるのか、オーケストラの響きもどこか懐かしく、のどかな感じ。ミドルレンジが厚いかまぼこ型の聴きやすい音。朗々と歌うメロディと溌剌としたリズムが心地良い。古き良きアメリカという感じ。

ところでウィキペディアを読むとバーンスタインの演奏はかなりスコアに手をいれているようだ。初演者であるバーンスタインのそうした演奏スタイルがしばらくは他の指揮者にも影響を与えていたが、近年はもっとオリジナルを尊重した演奏スタイルになっているらしい。今のところバーンスタインの影響を受けたメータの演奏しか聞いたことがないので、次はMTTでも聴いてみたいと思う。
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