ショルティのマーラー(1)

さて、ショルティで聴き始めたマーラー。83年当時、日本でのショルティの評価は賛否両論、どちらかと言えば否定が優勢という状況だったと思う。

すでにデッカのスターでDGのカラヤン、CBSのバーンスタインと同様に夥しい数の録音を行っていたショルティが日本でどうして低評価だったのかよくわからない。日本人はオーセンティック志向なのでヨーロッパの音楽はヨーロッパの中枢で活躍している人間しか評価したがらないからだろうか?

それに日本の社会は精神性という言葉も好きだ。精神性という言葉もよくわからないが、「精神性の高いもの」はあんまり日なたには出てこないような気がする。むしろ薄暗い、陰影に富んだ、複雑に何かが絡み合ったもやもやしたところにひっそり「精神性」は存在しているのだろう。

とにかくショルティのつくる音楽の印象はそういうものとは程遠い。「楽譜に書かれている音符はすべてそのとおり音にすること、リズムは常に鋭くインテンポで、タイミングは全員揃えること。以上。」といった感じなので、聞こえてくる音楽は常に陽性である。陽気というわけではない、音楽が白日の下に照らされているのだ。

たぶん、この明快、明晰な解釈が気に入らない人も多いのだと思う。作曲家の抱えていた苦悩やら不安感、あるいは情熱や狂気といったものが伝わらないということか。確かに作曲家というのは精神を病んでいた人も多いようなので、言わんとしていることがわからないでもない。(ただ、そう言わんとしているかどうかについてはよくわからない。)

では、ショルティの音楽には苦悩や不安や情熱や狂気がないか、と言えば、僕はそんなことはないと思う。おそらくショルティにとってはそうしたすべての感情は楽譜に書かれているのであり、それを忠実に再現すれば表現としては十分ということなんだと思う。それに加えて指揮者やオーケストラが全員で泣いたり悲しんだりする必要はないということなんだろう。

そうしたショルティの美学は彼のマーラーにも存分に表現されている。バーンスタインは言うまでもなく、アバドやレヴァインでさえも旋律やリズムを引きずったり伸ばしたりする部分があるが、ショルティの場合、それらは極めてまれだ。基本的には最初に決めたリズムを最後まで貫きとおす。そしてリズムは概して早めである。

交響曲全部を通じてショルティの演奏は一級品だと思うが、そうはいってもやはりこの哲学がはまる曲と必ずしもという曲があると思う。
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