東南アジアの片隅で

今回の出張では東南アジアのとある国を訪れた。将来の会社の成長を考えた時に最も大きな可能性を持つ発展途上のマーケットを実際に訪れて、今後、わが社の製品をどうやって展開していくかを考えるのが出張の目的である。

実際に訪れた国に会社として特別な関心があるのではなく、発展の初期にある国の一つの例として具体的なイメージを持つことが目的だったのだが、実際に訪れてみると感慨深いものがあった。

シンガポールで乗り換えて目的地の空港に降り立ったのは夜遅かったのだが、途上国に共通して空港はやたらと賑わっており、ロビーから外に出ると何するとはなく、たくさんの人々が佇んでいる。会社が用意した車に乗ってホテルに向かったのだが、空港からホテルへの道筋はヴェトナムよりも立派だ。夜遅いのが幸いしてさしたる渋滞もなく国際的にチェーン展開しているホテルに到着。ロビーも立派でチェックインカウンターでのやり取りは癖の少ない英語である。日本人であることがわかると「日本の漫画はすごい。」と言う。入国前はどんなところなのか想像がつかずかなり不安があったのだが、ここまでのところなんの問題もない。水だけ気を付ければ意外と大丈夫かなと思った。

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翌朝、ホテルの部屋の窓から下を見下ろして撮影した写真である。こうしてみると途上国とはいえ首都の中心部はそれなりに発展しているように見える。

翌日からは市内のあちこちを訪れた。我々の乗るバスは冷房が付いていたが街中を走るバスや車の多くにはエアコンがないようだ。窓を開けて走っている車が多い。人口増加が著しいだけあってあらゆるところに人混みがある。ヴェトナムがバイク天国であったことに比べると四輪自動車が多い。
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日中は曇り空が多い。空気は湿っていて毎日雨が降った。どちらにしてもからっと晴れるような季節ではなかったようだが、曇り空はどうやらスモッグが理由のようだ。人口増加と経済成長に伴って増加の一途をたどる車の排気ガスが最大の汚染要因と聞いた。地方にさしたる産業のないこの国では毎日1,000人が地方から首都に流入する。流入人口だけで1年に40万人人口が増える計算だ。そうした若い流入人口はほどなく子供を産み育て始める。都市計画もなく無秩序に建物が建ち、流入者達は劣悪な住宅環境で生活を開始する。現地の手配でそうした家庭をいくつか訪問した。この国で本格的にビジネスを展開することを考えると実際の生活を知る必要があるからだ。

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そのうちの一つとして、写真の奥で微笑む女性の家庭をお邪魔した。ご覧のようなバラックだ。写真ではイメージが湧かないが、ここは田舎ではなく首都のど真ん中である。上からは見えないが、最初の写真のような街並みの一本奥の道筋にはこうしたバラックが無数に存在する。

彼女は数年前にご主人と一緒に首都にやってきた。生まれ故郷には仕事がなく、夫婦で仕事を求めてここに住み始めたという。まだ小さな子供が二人いて、ご主人がマーケットで店番をして家計を支えている。月給の半分は家賃で残りは食費でほとんどなくなるという。二人は日本で言えば義務教育を途中で放棄してしまったが、教育の重要性は理解しており、子供二人には教育を受けさせたいと考えている。この国の公立学校はレベルが低く、どんなに苦しくても私立の学校に入れたいと考えている。窓がなく、裸電球一つに照らされて昼でも薄暗い部屋で、彼女はしかし場違いなくらいの明るさで笑顔を絶やさずそう教えてくれた。

ちなみにこのバラックは言ってみれば長屋みたいなもので、全部で7世帯が共同生活している。台所とトイレは共同。水は写真に写っている蛇口がすべて。ここからは日本人が飲んだらたちどころに病気になるような水しか出てこない。

ここ1年ばかりご主人の調子が思わしくなく、なかなか良くならないので2か月前に医者に行った。彼女達にはとても高額な薬を4錠買って飲んだが、お金が続かないのでそれきりだと言う。しばらくお金を貯めてからまた薬を買おうと思う。彼女はそう言いながら飲み終えた薬のパッケージを見せてくれた。見慣れない形の銀色のパウチだ。たまたま非番でその場に同席していたご主人は、僕達に、薬を飲んだら良くなったと言った。通訳は、本人達は理解していないが重い病気だと僕たちに英語で伝えた。微笑みを浮かべて次の質問を待つ彼女に僕は何を聞いたら良いのかよくわからなくなり、しばらくしてお礼として持参した手土産を渡すとその場を後にした。結局、何もできなかった。

僕達の訪問に際して英語と現地の言葉の通訳をしてくれたのは現地の学生達だった。僕と同行した通訳の女性は眼鏡をかけていたが、そのフレームにはPRADAのロゴが付いていた。こちらが恥ずかしくなるような綺麗な英語を話す。親の職業を聞くと銀行に勤めていると言う。彼女は経済学を学んでいる。まだしばらく大学に残って勉強し、その後は留学も考えていると言った。

終戦直後、焼け野原の東京にも同じようなバラックがたくさんあったことだろう。僕の祖父や父親の世代はそこから始めて今の近代的な日本を構築した。今回の訪問で、それがいかに凄まじい発展であったか実感できた。日本でははるか昔から教育が大切にされてきたし、富をみんなで分け合うことが美徳とされてきた。たった数日間の滞在だが、この東南アジアの小国の現在はそれとはだいぶ違っているように見えた。あの夫婦の小さな子供達は悪循環から抜け出せるだろうか。

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夜中便でシンガポールに移動した。早朝のシンガポールは青空で、アーリーチェックインしたホテルの窓からは朝焼けに彩られたベイエリアが見えた。とても綺麗だ。あまりのコントラストに目が眩む。

今回の出張の当初の目的にまだ答えは出せていない。アジアの途上国では80%の人々が1日5ドル以下で生活していると聞いた。それを考えるととてもうちの製品を買ってもらえそうにない。今のところ帰国して思うのは、自分が日本に生まれてつくづく幸運だったということばかりである。
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これは考えさせられる

記事ですね。写真を拝見するに、なんかちょっとインドっぽい雰囲気ですし、バングラデシュとか、あっちの方面なんでしょうか。
日本の戦後の発展ぶりは本当に奇跡と言うべきでしょうね。私が思い出しましても、子供の頃は家に風呂のないのがごく普通でしたが、それでももう '60年代に入ってのことですから、本当の戦後の状態はまさにこの国で訪問なさった庶民の家と変わらなかったでしょうね。

ただ、時々思うんですが、日本の場合は大正期あたりでもすでに民度と言い、国民の権利意識と言い、かなりのところまで行っていて、だから戦後は、額面上ゼロからの出発だったとはいえ、以前の状態に戻す、という側面もかなりあったんじゃないでしょうか。日本がおかしくなったのはむしろ昭和に入って軍国主義に振り回されるようになってからであって、それ以前には結構な水準を達成してたんじゃないかと・・・。 まァ、素人の印象に過ぎませんけど…。

こんばんは。

のす爺ィさん、こんばんは。コメントありがとうございました。

はい、ここはバングラデシュです。初めて訪問しましたが、貧しいながら、誰と話をしても将来に対して実にポジティブな希望を持っていることにまずは好印象を持ちました。

ただ、庶民の生活水準の低さと貧富の差の大きさを目の当たりにして複雑な心境でした。仰るとおり、日本の戦後は敗戦によってすべてを失ったことからスタートしたものの、明治以降、いや、もしかしたら江戸時代からすでに国民全体の教育水準は高いレベルだったと思いますし、戦前には社会資本もある程度と整っていましたので彼の地とは前提条件が違うと思います。何より富を国民全体で共有するという日本人的な価値観が通用しそうにないところが国全体の発展を阻害しそうな気がしました。

他方、戦争ですべてを失った日本が奇跡的な発展を遂げた原動力の一つとして、朝鮮、ヴェトナムという二つの戦争があったことも事実だと思うので、もしもそれらがなかったら今、日本はどんな国になっていたのだろう?とか、いろいろ考えさせられる出張でした。
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