ブルックナー交響曲第6番 : ショルティ

ブルックナーの交響曲第6番はブルックナーの交響曲の中で第5番と並んで大好きな曲だ。どちらかと言えば地味な曲に属すると思うのだが、初めて聴いたときから第一楽章冒頭のリズムがまずなんとも言えず好きなのである。

弦楽器が三連符でリズムを刻み始め、しばらくすると金管がティンパニを伴って主題を大音量で奏でるわけだがこの当たりどう形容したらいいのだろう、民謡というか夏祭りというか演歌といったらいいか、とにかくうまく言えないのだが、そういう日本の伝統的な音楽にも通ずるようなリズムを感じてどうしようもなく心を動かされてしまうのだ。皆さん、あんまりこんな風には感じないかもしれないし、ブルックナーの音楽の本来の芸術的な価値とはぜんぜん関係ないかもしれないが、とにかくそこが大好きなのだ。

(僕的には)、そのリズムをできる限り強くはっきりと刻んで欲しいと思うのだが、いろいろなCDを聴いていてもなかなかそのあたりきっちりと聞こえてくる演奏がない。リズムを支えているティンパニがオーケストラの後方で沈んでしまってはっきりしなかったり、金管の威力不足で弦ばかり聞こえてきたりという演奏が意外と多い。

曲は大好きなのだが100%満足という演奏に出会わない中、ショルティのCDをはじめて聴いたのは割と最近のことだ。ショルティッシモという70年代~80年代のショルティの演奏をまとめたBOXセットの中に唯一のブルックナーとして収録されていたのがこの第6番だった。

聴いてみて、もう、狂喜した。第一楽章は長い間もし自分が指揮者だったらこう演奏したいと思っていたような演奏なのだ。しかもショルティとシカゴ響という名人の演奏である。

最初、弦楽器の三連符は意外なほどゆっくり始まる。まさかクレンペラーやチェリビダッケのように間違ってスローモーションで再生しているような演奏なのでは?と一瞬心配したが、すぐに金管がすさまじい威力で主題を演奏し、それを(おそらく実演ではありえないような)超越したリアリティを持ってティンパニが支えている。

ここでのティンパニはリズムを支えているというより、積極的にリズムをリードしているといった方がより相応しい。とにかく生理的に痛快である。もう快感である。第一楽章は最後の最後まであたかも千両役者が舞台上で大見得を切るような表現で貫かれている。外形的かも知れない。でも、ここまでやってくれれば天晴れだ。

第二楽章は一転して美しく繊細な音楽だ。第一楽章で聴かれたデフォルメはここにはない。ただただオリジナルの美しい音楽が奏でられる。いい音楽だ。第三楽章スケルツオは第一楽章と第二楽章のいいとこどりのような演奏。ここでもトリオは大変美しい。終楽章ももちろん良い。

こんなにいい演奏なのに分売では現役盤がなく、簡単に手に入らないのが残念だ。最近はかなり古い演奏までSACD化されて復刻されているケースも多いのに、ショルティの演奏についてはそうした例が非常に少ない。この曲がSACD化されたら絶対買うのになあ。

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