モーツァルト交響曲第38番「プラハ」 : ショルティ

ショルティプラハ

土日と昨日の気温が10度以上も違ったためか、はたまたゴルフの疲れが残っているのか、今日はどことなく体調不良な一日だった。特に喉がいまいちで声が枯れ気味。こりゃ風邪のひき始めかなと思いつつ、昨日のゴルフ、今日の仕事と場面は違えど大きな声を出す機会が多かったこともあって、はたして何が本当の原因か不明である。

今日は職場で軽い懇親会のようなものがあり、帰宅したのがいつもより少し遅くなった。体調のことを考えるとあまり夜更かししないよう、短めの音楽を聴くことにした。

ショルティのモーツァルト、以前、40番と41番を取り上げたが、オケはヨーロッパ室内管である。モーツァルトのオペラでは権威と言っていいだろうショルティだが、交響曲の録音は非常に少ない。自分の知る限り、モノラル時代にロンドン響と入れた25番、38番とシカゴ響との38番、39番に加えて上述の二曲のみ。同じくモノラル時代に録音したハイドンの交響曲については後年、ザロモンセットをまとめて録音しているのに、なぜこんなに少ないのだろう?

「プラハ」はその数少ない録音の中でモノラル時代、ステレオ時代と2回録音されている唯一の曲である。おそらく一般的なショルティ/シカゴ響のイメージからはかけ離れた穏やかで伸びやかな演奏が聴ける。実際にはショルティ/シカゴ響は曲目によって非常にリリカルで繊細な演奏をするので、ここに聴くモーツァルトが特に例外的なわけではないのだが、しかし、ブラインドでこの演奏を聴かされて指揮者とオーケストラを当てられる人は少ないだろう。猛烈にパワフルな金管楽器が不在でいつもはどうしても影に隠れがちな弦楽器が大活躍である。録音も鮮明で良い演奏。

トゥビン交響曲第5番 : パーヴォ・ヤルヴィ

パーヴォボックス

ヤルヴィのアルバムはストラヴィンスキーとニールセン、ドヴォルザークとマルティヌーと言った形で、有名曲の余白に意外な曲がカップリングされているものがある。シベリウスの2番に組み合わされたトゥビンは僕にとって初めて聴く作曲家である。トゥビンはエストニアに生まれてスウェーデンに亡命した作曲家/指揮者で、指揮者としてはパーヴォの父、ネーメと同僚だったそうだ。同じエストニア出身でもあるネーメはトゥビンの交響曲全集を録音しているが、パーヴォの録音はこの5番のみのようだ。

トゥビンは交響曲を10曲も残しているが、6番以降からは無調/十二音音楽の要素が濃くなるようだ。そういう意味では46年に作曲された5番が一般的に馴染みやすい最後の交響曲なのかも。

3楽章からなる全体で30分弱の曲だが、緊張感に満ちて起伏も大きな劇的な曲である。全編を通じて金管と打楽器が非常に効果的で聴いていて飽きない。特に二組使われたティンパニの活躍が目覚ましく、第一楽章と終楽章のフィナーレはオーディオ的にも楽しめる。

こういう未知の曲を聴いて良いなあと思うことはあっても、二度三度と繰り返し聴く曲はなかなかないのだが、この曲はすでに何度か聴いている。そうするうちに最初は印象に残らなかった第二楽章も好きになってきた。もう少し知られても良い佳曲だと思う。

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 : ファウスト/エラス=カサド

メンコンファウスト

現役引退をアナウンスしていた宮里藍選手のプロ最終戦がついに終わってしまった。アマチュアで何度も優勝したり、高校生の時にツアーで初めて優勝したりと、若い頃から大活躍しているのでずいぶん長い時間が経ったような気がするが、まだ32歳だと言う。第一線を退くにはあまりにも若いと思うが、どこへ行っても注目を浴び続けてきっと大変だったんだろうな。藍ちゃんの活躍以降、女子ゴルフにも次々人気選手が登場したが、結局、日本を代表する大スターって言えるのは藍ちゃんだけだ。引退は残念だが、これからの人生に幸多きことを願う。

さて、台風一過の今日、天気予報は昨日と打って変わって真夏の気候。三連休最後なのでゴルフに行ってきた。実は久しぶりにクラブを新調して、コースで使うのは今日が初めて。初めて自分のクラブを買った時から、アイアンは頑なにスチールシャフトを使っていたのだが、今回、初めてカーボンにした。硬さもSからRに。最近のクラブはロフトが立っていることもあるが、確実に一番手違う。距離感が合わなくて前半は苦労したが、慣れてくるとこれは楽ちん。下手なくせに難しいクラブを使って粋がるのはもう止めよう。それにしても強烈な日差しだった。

帰ってきてから聴いたのが、イザベル・ファウストの独奏、パブロ・エラス=カサド指揮フライブルク・バロック・オーケストラの演奏によるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。指揮者もオケも知らなかったのだが、akifuyu102さんがブログで紹介されていた。そこにあったプロモーションビデオを見てすっかりノックアウト。早速、オーダーしたものである。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲と言えば、はるか昔から有名ヴァイオリニストが必ず録音する天下の名曲であるが、あまりに名曲すぎて、このところは新しい録音が出ても触手が伸びなかった。最近、買ったのはレコードが欲しくて買った演奏だけだし、それらも昔の名手の演奏である。

この協奏曲、序奏もなしにいきなり有名なメロディが出てくるが、昔ながらのそれは「物悲しくも美しい」といった出方のものが多い。勝手なイメージで言えば、薄幸の美女が涙にくれながら、「こんなに大好きなのに、どうして貴方は私を置いていくの?」的な絵が思い浮かぶ(個人的な感想です。)。それに対してオーケストラも「ああ、なんて悲しい!」的な演奏で応えるのが王道である。

しかるにこのアルバムに聴くイザベル・ファウストの独奏と古楽器オケの演奏はもっと鋭利で攻撃的である。音は研ぎ澄まされていて細身で美しいのだが、涙にくれるような弱さは微塵もなく、またまた勝手なイメージで言えば、「おのれ、覚えておれ。復讐だ。」的な迫力でぐんぐん迫ってくる。オケも「さあ、やるぞ!そら、やるぞ!」的に呼応する。(あくまで個人的な感想です。)なんというか、これまでのメンコンのイメージを覆す素敵な演奏だ。非常に面白い。

ショスタコーヴィチ交響曲第10番 : ショルティ

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予約していたショルティ/シカゴ響のボックスセットが届いた。予約したのは2~3か月前で、9月中旬の発送と言う表示にずいぶん先だなと思ったのを覚えているが、実際はあっという間だった。ご覧の通りの体裁で、大き目の箱に立派な解説本とともに108枚のCDが収められている。カラヤンの年代別ボックスセットやグールドのリマスタリングボックスセットと同じような収納だが、これって見た目は良いのだが置き場所に困る。箱に入れたままだと開け閉めが面倒で聴かなくなってしまうので、中身だけをCDラックに並べるのだが、捨てるわけにもいかない外箱の行先がない。みんなどうしているのだろうか?

シカゴ響音楽監督就任後の初録音である70年のマーラー5番からストラヴィンスキーの交響曲ハ調までがリリース順に106枚目までずらっと並んでいて、107枚目はティペット。オリジナルのリリースと収録曲が変更されているのがティペットがここに置かれた理由だろうか?最後の108枚目はRCA専属だったレオンティン・プライスを「ナクソス島のアリアドネ」にレンタルする交換としてショルティ/シカゴ響がRCAに録音したヴェルディのレクイエム。ソニーとライセンス契約してボックスセットに収載されているのは嬉しい企業努力である。僕の好きなショルティ/シカゴ響なので、手持ちのCDと重なりも多い。学生時代以来、ソフトの買取をしてもらったことはないのだが、今度他のダブりCDもまとめて持って行こう。

108枚もある中からマーラーの5番、7番、「春の祭典」に続いてなんとなく取り上げたショスタコーヴィチの交響曲第10番だったのだが、聴いていると「あれっ?」と思うことがあった。このボックスセット、それなりに一生懸命解説本を読んでみてもそれぞれのCDのマスタリングデータは見つけられなかった。ボックス化に合わせてリマスタリングしてあれば記載があってもおかしくないので、おそらくリマスタリングはされていないと思う。僕が持っているショスタコの10番はタワーレコードの企画であるショルティ・ショスタコーヴィチ選集なのだが、その中にある10番を聴いた時、強音時にダイナミックレンジが狭く、不満だった。それが理由で10番を聴いたのは今日が初めてだったのだが、ボックスセットではその点まったく不満がなかった。リマスタリングもされていないのにどうしてと思ってタワレコ版を確認してみると10番は9番とカップリングされていた。他方、ボックスセットの方は10番のみの収録である。なるほど、今までCDの長時間収録にさして不満を感じたことはなかったのだが、同じ曲を長時間収録したものとそうでないものを聞き比べれば、モノによってはずいぶん差があるのかもしれない。今さらそんなことに気付いたのと言われそうだが、僕にとっては新たな発見であった。

ショスタコーヴィチ交響曲第6番 : キタエンコ

ショスタコキタエンコ

あちこち飛び回り過ぎのせいか、涼しかったり暑かったりと激しく揺さぶりをかける気候のせいか、どうやら遅ればせながら夏バテ気味。食欲はあるものの、だるいし、とにかく眠い。なるべく早く寝ているのだが、朝起きると寝足りない感覚が強い。そういえば少し鼻声だし、くしゃみも出るので軽く風邪気味なのかもしれない。

さて、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも地味目な6番だが、シベリウスの2番の余白に収録されたプレヴィンの演奏で初めて接して以来、けっこう気に入っている。全曲で30分強と長すぎないところも良い。平日の夜、寝る前に音楽を聴きたいと思った時にぴったりなサイズ。

この曲の第1楽章ラルゴは、同じロ短調であるチャイコフスキーの「悲愴」の終楽章を受け継いでいるとバーンスタインは解説している。作曲されたのが第二次世界大戦が勃発した1939年なので、世相を反映してか暗い出足だが、続く二つの楽章はなぜだか妙に明るい。これはドイツがポーランドに侵攻しても独ソ不可侵条約があるので偽りの平和を意味していると同じくバーンスタインの解説は言っているらしい。う~む、そういうことなのかな?いずれにしても指揮者と言うのはそういうところまで深読みするのかと思うと感心する。凄いなあ。

この曲を初演したムラヴィンスキーの65年盤と72年盤はどちらも異常なまでの緊張感とスピード感で圧倒的な演奏なのだが、上に書いたような、僕の不真面目な聴き方にはちと厳しすぎる。その点、キタエンコ/ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の演奏は中庸を得ていて丁度良い感じである。てなことを書き続けるとまた寝不足になってしまうので、今日はこの辺でおやすみなさい。

ベートーヴェン交響曲第9番 : フルトヴェングラー

フルトヴェングラーボックス

今週はじめに職場のボランティア活動で南三陸を訪れた。早起きして始発の新幹線に乗り、仙台からバス。いつの間にか高速道路が延伸していて以前よりもアクセスしやすくなっていたが、それでも1時間半くらいかかっただろうか。まずは海沿いのホテルに集合して、地元の方に震災当時のお話を聞く。現役引退されてから震災を語り継ぐことが大切と思い立ち、語り部のボランティアを始められたという。以来、数年が経過しているので堂に入ったお話ぶりだったが、内容はとても切ないものだった。当たり前だが現場にいた人の話は映像から想像するものとは全然違った。その後、被災した場所の見学に続いて復興作業のお手伝いをしたが、先方の方の期待は作業そのものよりも、ここでの経験を多くの方に知らしめることのようだ。なので、帰京後は今回参加しなかった同僚に体験談を話した。僕の口を通じて伝えられることがたとえ100分の1であってもゼロよりは良い。

東京に戻ってから仕事で急な案件が発生して昨日一昨日とせわしく動いたので今日は思い切って午後休みとして早めに帰宅した。家に帰るとフルトヴェングラーのCDボックスが届いていた。七味とうがらしさんのブログでフルトヴェングラーの「未完成」が取り上げられていて、それを読んでいたらなんとなく久しぶりにフルトヴェングラーの演奏が聴きたくなった。ネットで検索してみるとなんと107枚ものCDが入ったボックスセットが7,000円弱で販売されている。廉価レーベルとは言え、これだけ安ければ良しと思って購入したものだ。

最初に何を聴こうか考えた末選んだのは「合唱付き」。フルトヴェングラーのベートーヴェンはたくさん種類があるが、ボックスに収録された「合唱付き」は定番のバイロイト祝祭管とのもの。この演奏を聴くのも10年以上ぶりである。著作権切れ録音をお安く発売するレーベルだけに音には一抹の不安があったのだが、杞憂であった。記憶との比較に過ぎないが、昔持っていたEMIの国内盤よりマシな気がするくらいである。

最近、クラシックでモノラル録音を聴くことがほとんどないので、最初にスピーカーの真ん中に広がりのない音が出た時には正直がっかり感が強かったのだが、聴き進めるに連れてさほど気にならなくなった。もう何度も何度も聴いた演奏だが、この求心力の強さにはそのたび感動する。テンポの変化も強弱の変化もほんと、生き物のようである。これだけの変化があってなお作為を感じないところが凄い。数十年前と比べるとこの演奏ですら不滅の録音と言えるかどうか怪しくなってきたが、いまだ並び立つもののない一つの最高峰であることは間違いないと再確認した。

チャイコフスキー交響曲第1番「冬の日の幻想」 : ドラティ

ドラティチャイコフスキー123

先週末は二日続けて懐かしい面々と飲み会があった。最初は以前働いていた職場の先輩方との飲み会。そのうちの一人が定年後、再就職することが決まり、そのお祝いが本来の目的だったのだが、実際はさらに上の先輩の長い長いお話を聞く会だった(笑)。この人はいつも話が長いので当時は話を聞くのが苦痛だったなあ。前の職場はそれでなくても毎日帰りが遅いところだったので、特に夜遅くに話を聞くのはしんどかった。が、今となっては懐かしい思い出である。以来、時間が経過してすでにお爺ちゃんと言っても差し支えない年齢になられたが、変わらぬ精力的な話ぶりにむしろ嬉しくなった。

翌日は大学の同窓会であった。こちらはもう25年以上ぶりである。僕は真面目な学生ではなかったので、久しぶりで顔がわからないというよりもそもそも顔を知らない同級生が多かった(笑)のだが、行ってみると存外に楽しかった。学校で同じ時間を過ごさなくても同じ時代を過ごした者同士なので、意外にも話が弾んだ。社交的な人が多くて、こっちから話さなくても話しかけてくれたのが幸い。

昨日は職場の定例ゴルフコンペに参加した。早朝、起きてみると小雨の上、めちゃめちゃ涼しい。たぶん気温は20度を切っていたのではないだろうか。このコンペ、たぶん20回以上続いているのだが、今まで天候不良で中止になったことは一度もない。それに天気予報も午後に向けて天気は回復すると言っていたのでそれを信じて軽めの服装で向かった。行ってみるとまさに思ったとおり。到着直後こそ小雨が降っていたがスタートする頃には天気は回復。天気が悪いためか昨日のコースは比較的空いていて、待つことなくラウンドできた。スコアもまあまあ。日ごろ各賞に縁がないのに昨日はドラコンとニアピンが一つずつ。上出来である。

今日は昨日と打って変わって朝から良い天気であった。気温も高く、去ってしまいかけた夏が戻ってきたようだ。そういう日にはまったく似つかわしくないのだが、久しぶりに「冬の日の幻想」を聴いた。ドラティ/ロンドン響による演奏。マーキュリーのボックスセットの中にある一枚。

第1楽章冒頭のヴァイオリンの刻み方からしてドラティらしく律儀できちっとした演奏である。この演奏、面白いのは第1楽章から終楽章まで基本のテンポがだんだん遅くなるところ。最初の木管の入りからすごく速いのでこのペースで押し通すのかと思いきや、楽章が進むごとに腰が据わってくる感じ。終楽章も主部に入って以降はペースが上がるが、コーダの入りで再度かなり落ちる。クライマックスも堂々とゆっくりと進む。直接音が鮮明に捉えられたマルチ録音のおかげでそれぞれの楽器の音階は非常に掴みやすく、ティンパニと低弦も滲まないので細部までよく聴こえる。コンサート会場で聴くオーケストラの音とはだいぶ違うが、まったく別の録音芸術として優れもの。

ショスタコーヴィチ交響曲第8番 : ショルティ

ショルティショスタコ選集

朝起きてテレビを点けたらまさかのJアラート。Jアラート対象地域ではなかったので防災無線は聞こえなかったが、画面いっぱいに映ったアラート表示にしばし呆然とした。実際にアラートが出たと思えず、最初は訓練か何かかと思ったくらい。アナウンサーは頑丈な建物や地下に避難してくださいと繰り返していたが、自宅の周りにそんなところはない。本当の有事の場合、指示に従うことは不可能であることがわかった。おかげで朝から新幹線は大混乱である。通勤途中の東京駅は完全に乱れたダイヤに翻弄された人たちで溢れていた。

戦後二十年以上経って生まれた僕らの世代は戦争の記憶も爪痕も子供の頃に辛うじて残っていたくらいで、その後も世界各地で断続的に起きた紛争もテレビや報道の断片的な情報に接したことしかない。今日現在、地球上のどこかでは一瞬にして大量の命が奪われたり傷ついたりしているのに、それが自分自身の身に降りかかるとは正直思わないで過ごしてきた。今朝の体験で、じゃあ、今、この瞬間、その可能性があると思っているかと言えば、まだそこまでは。。思いたくない。その可能性を信じたくないというのが本音である。

朝そんなことがあったから、というわけではないが、帰宅してからショスタコーヴィチの交響曲第8番を聴いた。この曲はよく知られているように41年の「レニングラード」に続いてソ連軍が攻勢に転じた43年に書かれた。それまでの劣勢を挽回し勝利に向かうタイミングで書かれたにも関わらず、凱歌とは思えない暗い曲調が当局に問題視されたという。

ジャケット写真はまさに8番のものであるが、これがいつ、どういう場面を描写したものかわからないものの、降り積もる雪の中、戦禍に追われて衰弱している民衆にも見える。ドイツ軍がソ連に侵攻してから数年の間に何度もこうした場面を目撃した作曲者が戦況が好転したとは言え、勝者も敗者も関係なく戦争の悲惨さを描写したとしてもごく自然なことと僕は思うのだが、そうは受け止められなかったようだ。考えれば恐ろしい時代である。

ショルティ/シカゴ響のこの演奏、ライブ録音であるというのが信じられないような完成度の高さに驚く。常に演奏水準の高いこのコンビの録音の中でも曲の規模、技術的難度を考えると一、二を争うスーパー演奏である。名盤。

プロコフィエフ交響曲第5番 : ヤルヴィ

ヤルヴィテラーク

朝起きたら首の左側が痛い。どうやら寝違えたらしい。昨日からよく眠れるのは良いが、若干首を捻った形で寝てしまったようだ。このところ、こういうことが良くある。若い頃は休日になるとくたびれ果てて十数時間寝てしまうことがあったが、だからと言って寝違えるようなことは滅多になかった。このところはどんなに疲れていても朝はだいたいピタッと同じ時間に起きる。なのに寝違える。それだけでなく身体のあちこち痛かったりする。起き抜けに階段を降りる時、膝や足首が固まっている感覚もある。まさしく老化である。老化、ど真ん中。本意ではないが、受け入れるしかない。良いこともある。最近、僕より20年以上長く生きて、まだまだ元気な両親に対して大いなる尊敬の気持ちが持てるようになった。元気なうちに二人がやりたいことは何でも叶えてあげたい気持である。いつまでも元気でいてほしい。

今日は雨こそ降っていないもののあんまり天気が良くなくて空はずっとどんよりしている。気温そのものはさほど高くないが、蒸し暑い。風がないのでクーラーがないときつい。オーディオの部屋では窓が開けられないのでなおさらだ。そういえば、こういう時に前回、クーラーの調子が悪かったなと思ったら、今日も調子が悪かった(笑)。冷房にセットしても送風状態で冷風が出ない。本体のアラート表示によれば「室外機に過電流が流れた」らしい。毎回、同じ表示なのだが、直近2回は一晩放置したら再起した。さて、三度目の正直なるだろうか?とにかく、今日はクーラーが使えないので、隣の部屋と連結して冷風を呼び込むしかない。幸いにして家人は今日、出かけている。不幸中の幸いである。

さてさて、ヤルヴィ/シンシナティ響のテラーク録音をまとめたボックスセットを買った。幻想交響曲を単品で持っているが、それ以外に重なりはなし。レコード時代の憧れのまま、テラーク録音と言うと見境なく欲しくなるのだが、加えてヤルヴィ指揮となれば買わずにいられない。16枚組で収録曲はメジャーなものばかりである。

最初に聴いたのがプロコフィエフの交響曲第5番と「キージェ中尉」組曲の入った一枚。第1楽章冒頭を聴いただけで買って良かったと思える仕上がり。ヤルヴィ/シンシナティ響の演奏はゆっくりとしたテンポで悠揚迫らぬ音楽を構築している。この曲に緊迫感を求める人にはきっと物足りないだろうが、あえて言えばチェリビダッケのようなアプローチで進めながら、非常に洗練されたフレージングでどんな局面でも音楽を重くしないヤルヴィの演奏は個性的で面白い。というわけで演奏も十二分に楽しめたが、それ以上に印象的だったのはやはりテラークの音作り。中低音が非常に豊かなバランスで、かつ、音の濁りもなく、とても心地良い。「キージェ中尉」も含めて良いアルバムである。


ベートーヴェン交響曲第1番 : デイヴィス

デイヴィスベートーヴェン

今回の出張は自分が所属する部門のアジア各国の責任者と本社の担当が一同に会する会議が目的だった。僕は今年から今の部門に異動したので初めてだが、聞けば、過去、こういう形でまとまって会議を行うことはなかったらしい。本社の担当が日本に来ることは珍しくないが、東南アジアの小国の責任者の中には初めて本社の人間と会うような者もいるし、折悪く今年はアジア全体のビジネスが好調とは言い難い。結果として会議は緊張感に満ちていた。

僕は日本のビジネスについて発表することになっていたので、事前に準備をして行ったのだが、本番は予想以上にピリピリとした空気に満ちていて、ちょっと痺れた。しかも各国の発表はビジネスサイズ順なので日本が最初である。さてさてどうなることやらと思って臨んだが、冒頭、ほとんど本音で「プレゼン後に質問は受けるが難しいものはやめてほしい。」と言ったところ、冗談と思われたらしく、期せずして小さな笑いが起きた。どうやらそれで全体の緊張感が崩れたらしく、後はスムーズだった。人間同士の付き合い、やはり苦しい時には笑いが大切である。いい勉強になった。

そんなこんなでどうやらいつも以上に疲れたらしい。今朝、普通に起きて普通に活動を始めたのだが、早めのランチを済ませてからいつの間にか寝てしまった。ふだん昼寝することはまれなのだが、ふと気が付いたら3時間以上も寝ていた。いかんいかんと思いつつ、聴き始めたのがサー・コリン・デイヴィス指揮シュターツカペレ・ドレスデンのベートーヴェン交響曲全集。個人的にジャケット写真が懐かしい90年代初めのフィリップス録音である。数年前にタワーレコードで復刻されているが、僕が入手したのは2000年代前半、廃盤になる前にリリースされた中古ものである。

一枚目に1番と7番が収録されていてそれを聴いたのだが、録音年代を考えると珍しいと言えそうなモダン楽器のフルオーケストラによるオーソドックスな演奏が聴ける。古き良き時代のいかめしいベートーヴェンから古楽器による既成概念の破壊を経てモダン楽器による古楽器的演奏が出てきたり、僕がクラシックを聴き始めて以降、ベートーヴェンの交響曲のイメージはずいぶん変わった。そういう変遷の中で捉えた時、この演奏は多少時計の針を戻したような印象を与えるかもしれないが、しかし、懐古趣味的に古いスタイルで演奏されたものではなく、ゆっくりとしたテンポで大きな構えの中にしなやかで美しい旋律が見事に収まっている。進歩を止めず、しかし、現状破壊のみを良しとしない、デイヴィスなりに最善のベートーヴェンを構築したらこうなったという感じの演奏である。1番も良いが、そのまま聴いた7番も良かった。クライバーの快速・快演と比べたら実にじっくりとしたテンポの演奏だが、もたつき感はゼロ。良い演奏である。
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